284 10月11日 Ⅰ列14コロ1エゼ44詩97-98
列王記第一14章……レハブアムは、王宮の財宝である金の盾が奪われたら、その代わりに青銅の盾をつくらせ、自分が王宮入りするときにだけ近衛兵に持たせ、あとはしまっておきました。それは、ソロモンの栄華が地に落ちたということであるのと同時に、この期に及んでレハブアムがむなしい王のきらびやかさにすがりついていた、ということです。私たちは世のものになお執着するような愚かさから自由になり、ただイエスさまだけで満足する者にならなければなりません。
コロサイ人への手紙1章……私たちが神さまと和解させていただいているのは、御子イエスさまによって、また、御子イエスさまのためにです。私たちは本来、神さまと敵対した関係にありました。私たちが不従順であるゆえに、神さまの怒りが注がれていました。しかし、御子イエスさまは、そのような神さまと私たちの敵対関係を和解に導こうと、ご自身十字架におかかりになり、イエスさまの十字架を信じる私たちは、神さまの御怒りから免れさせていただきました。イエスさまにかぎりない感謝をおささげしましょう。
エゼキエル書44章……神殿に「異国の民」を入れてはいけないというのは、こんにちにおいても有効です。名前だけのクリスチャンは、主の弟子となることを嫌がります。そのような人は、たとえ主のからだなる教会に属しているように見えても、実際のところは、主から民の群れへの出入りを禁じられるべき人です。私たちがもしそのような性質を持っていると自覚するならば、悔い改めて、キリストの弟子として歩むことを志願しなおす必要があります。
詩篇97篇~98篇……神々よひれ伏せ、とあります。これは、創造主ならぬ神々を信じ従っていた者たちが、そのむなしい生き方を悔い改め、まことの神さまを信じて悔い改めよ、ということを意味します。神々はいかにも神々(こうごう)しいもののように飾り立てられ、礼拝されますが、それらは極めてむなしいものです。人々はいち早く、神ならぬものを礼拝することをやめなければなりません。
<祈りの課題>私たちがまことのキリストの弟子として歩む者となりますように。
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