281 10月8日 Ⅰ列11ピリ2エゼ41詩92-93

列王記第一11章……ソロモンが異邦の女性たちと通じたのは、単なる政略結婚以上の意味がありました。ソロモンは、偶像礼拝の民である彼女たちのことを「愛した」のです。「愛する」ということは、主がひとつにしてくださるということであり、主の民の男性であるならば、主の民の女性を「愛して」ひとつになるべきであり、そうしないで主の民以外の女性を「愛する」ことをしてはいけません。いわんやイスラエルの王がそのようなことをするなど論外です。それゆえの大いなる懲らしめがイスラエルに臨むこととなりました。もっとも、イスラエルは宿命のようにソロモンの過ちを受け入れざるを得なかったわけではなく、それからの南北王国にもまことの主の人は引きつづき起こされていたように、未信者と結婚したことそのものにより祝福を失ったと考えるのもよくありません。そのようにして結ばれたご家庭は、主が必ず祝福を与えてくださると信じ、祈りつつ取り組んでいくことができれば素晴らしいことです。

ピリピ人への手紙2章……私たちクリスチャンは、お互いのことを自分よりもすぐれた人であると、心から思える人です。そのように本気で思えるのは、イエスさまがへりくだって仕えてくださった、実に十字架に身代わりになっておかかりくださるほどに愛してくださったと、イエスさまとの個人的な愛の交わりによって受け止めてこそです。人に本気で愛を施せる愛の人になるには、日々イエスさまとの交わりを保つことが大事です。

エゼキエル書41章……青銅の人は私たちがその姿に人の子を見る聖なる存在ですが、その人はエゼキエルに幻の神殿、まことの神殿を見せるにあたり、その神殿に「最も聖なる場所」があることを示しました。まことに神殿とは、「最も聖なる場所」、すなわち、神さまと人が一対一で交わりを持つ場所が存在するものです。私たちもこの肉体という主の宮の中に、主との一対一の交わりを持つ至聖所があります。私たちはこの、それぞれ心の中に宿している「至聖所」を、日々神さまとの交わりを保つべき空間として、聖く大事に保っていますでしょうか。

詩篇92篇~93篇……主に感謝し、賛美することを実際にどのようにすればよいかを、この詩篇は語っています。それは、朝ごとに主の恵みを告げ、夜ごとに主の真実を告げることです。そのためには、主が日々どのようなみことばを私たちに語り、どのようなみわざを私たちになしてくださっているかを覚え、それを心に留めて感謝することです。日々のその積み重ねは、主とのさらなる深い交わりにつながります。

<祈りの課題>私たちが、心の中にある「至聖所」を大切にする生き方をしていきますように。

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