279 10月6日 Ⅰ列9エペ6エゼ39詩90

列王記第一9章……ソロモンは王の地位にある者にふさわしく、主の御前に派手なささげものをしました。それは主のみこころに従順になることでイスラエルに祝福があるように願う態度でもありましたが、ソロモンの統治には早くもほころびが出はじめていました。壮麗な建築のためにあれだけ惜しみなく支援してくれたヒラムに対して、大した贈り物もしないで済ませましたし、エジプトのファラオの娘を妻のひとりに迎えて、偶像礼拝の民族と通じる隙を国にもたらしたりしました。主にお従いしようという態度を示そうとするのは結構なことですが、その生き方を貫くうえで、この世の富に執着することは大きな罠となります。

エペソ人への手紙6章……福音宣教の働き人のために祈ることは必要なことです。なぜならば、彼らは「鎖につながれている」からです。パウロがこうして現実に鎖につながれた囚人となっていたように、主の働き人は、経済的な制限、体力的な制限、地域社会の無理解という制限、働きを進めるにあたっての家族や教会の反対という制限……そのような「鎖」のような制限に、働き人はつねに苦しみ、それが教会による福音宣教の大きな妨げとなっています。私たちは福音宣教に献身した働き人のために祈って支える必要があります。

エゼキエル書39章……終わりの日のさばきのビジョンです。神の民は神さまのあわれみによって回復されます。しかし、そこにはみこころを損なった偶像礼拝の者どもに対するさばきが伴います。私たちもやがて迫りくるこの終わりのさばきを絶えず意識して生きる必要があります。私たちは救われたいと願うならば、それにふさわしい歩みをつねに主の御前にて志し、みこころに反するけがれからつねに自分をきよめていただく必要があります。

詩篇90篇……私たちの人生は長いようでいて短いです。その年月の短さばかりを思うならば、人はなんとむなしくなることでしょうか。しかし、そのような私たちがむなしさから救われる道があります。それは、私たちを創造し、私たちのいのちの終わりにみもとに引き寄せてくださる主なる神さまが、永遠であることを心に留めることです。

<祈りの課題>私たちの教会の働き人のために。

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