278 10月5日 Ⅰ列8エペ5エゼ38詩89

列王記第一8章……ソロモンは未来において、主への不従順のゆえに異国に捕らえ移される子孫たちのために祈りました。主に対して罪を犯す者が反キリストの支配下に置かれることを主がお許しになるということは、いつの時代にも真理です。しかし、それは決して幸福な状況ではありません。それでも、その中においても主はご自分の民を忘れておられたわけではありません。主に祈り求める民を、主は必ず顧みてくださいます。私たちもそのように顧みていただけることは、ソロモン王の祈りがあるゆえです。

エペソ人への手紙5章……私たちクリスチャンには、確実にふさわしくないことがあります。淫らなこと、汚れ、貪り、わいせつなこと、愚かなおしゃべり、下品な冗談……これらのことは、神さまと人に対する感謝の告白と対照的に列挙された、避けるべき罪です。クリスチャンの中にも、自分は何をしてもイエスさまの十字架によって許されているからとうそぶき、このような罪を犯すことをやめない人がいるものですが、そういう人は果たして、自分がイエスさまによってどれほど罪が赦されているか、また、そのように罪赦された者どうしの共同体である教会のひと枝とされていることに、感謝しているのでしょうか。私たちはこのような罪を避けるためには、どんな努力も惜しまずする必要があります。罪を犯させるような要素を、生活から取り除く必要があります。

エゼキエル書38章……終わりの日にイスラエルが攻められる様子が描かれています。しかし、イスラエルを攻める者もまた、大いなるさばきに服することになります。そのさばきはもはや人間のレベルではなく、自然環境全体が激しく揺り動かされるレベルです。私たちは、主の民に触れるということはそれほどのさばきを受けること、それだけ、創造主なる神さまは主の民を特別に愛しておられることを知らなければなりません。

詩篇89篇……神さまが民を救ってくださるという契約は、ダビデのすえとして神さまがこの地に生まれさせてくださったイエスさまによって確かなものとなりました。このことはすでに、イエスさまがお生まれになるはるか昔、詩篇の時代に預言されていました。イエスさまの王座はとこしえに堅く立ちます。私たちはイエスさまを信じる信仰によって、永遠に続く神の民の子孫のひとりとしていただいています。

<祈りの課題>私たちが自分は主の民であるという意識をしっかり保って、今日という日を主の栄光を現しつつ生きる者となりますように。

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