277 10月4日 Ⅰ列7エペ4エゼ37詩87-88
列王記第一7章……ソロモンの宮殿、また、主の宮を建てることにおいて、聖書は詳細な記述に紙面を割いています。目に見える宮を建てることはそれだけ大事だったわけですが、私たち神の民も、主をお迎えした主の宮です。私たちも主のからだなる教会を立て上げるということは、主の御目から見てとても大事なことをしていることになります。私たちは自分たち神の宮を立て上げることに、どれだけ真剣になっていますでしょうか? また、どれだけ献身していますでしょうか?
エペソ人への手紙4章……私たちは、御霊による一致をもって一つの教会を立て上げるべく召されています。しかし、私たちはみな同じ行動をするわけではありません。主は私たちそれぞれに、ひとつの教会を立て上げるために別々の賜物を分け与えてくださいました。私たちはこの賜物をそれぞれが生かし、それぞれが所属する教会を立て上げてまいりたいものです。
エゼキエル書37章……神の民イスラエルが絶望の中にあったとき、主は、あなたがたは干からびた骨ではない、わが霊により人となる、と語ってくださいました。主の民はひとたびさばきに服しましたが、主は悔い改める彼らをいつまでも罰してはおかれませんでした。死んでいたようだった彼らを、ダビデのすえなるイエスさまによって回復してくださると約束してくださいました。その終わりの日の約束、主の民が回復されるという約束は、必ず成ります。
詩篇87篇~88篇……私たち主の民は、まるで自分が死んだ人のように思えてならない瞬間というものがあるのではないでしょうか。それはかつて主の民が主のさばきに服し、実際に体験していた感情と同じものです。しかし主は、私たちのことを必ず回復してくださいます。苦しみの中から叫び求める私たちの祈りを、必ず聞いてくださいます。私たちはこの信仰をもって、主に心から祈ってまいりましょう。
<祈りの課題>苦しみの中にあるときこそ、私たちが大いに主の御名を祈り求める者となりますように。
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