275 10月2日 Ⅰ列4-5エペ2エゼ35詩85
列王記第一4章~5章……神さまがソロモンに与えてくださった知恵は、単なる政治的なものに限定されてはいませんでした。森羅万象、あらゆるものに通じていました。それは、天地万物、森羅万象をお造りになり、治めていらっしゃる神さまの知恵が、ソロモンに臨んでいたということです。私たちが知恵を求めるということは、その場しのぎの解決法を求めるということではなく、あらゆる道に通じる広い知恵を求めるということを意味します。
エペソ人への手紙2章……私たち異邦人は希望がありませんでした。しかし、あわれみ深い神さまは、私たちをイエスさまの十字架を信じる信仰のゆえに救ってくださり、ユダヤ人と同じ神の民としてくださいました。本来、民族の異なるどうしはその民族なりのプライドゆえに、お互い敵対するのが当然のようでしたが、その異なる民族はともに同じイエスさまを仰ぎ見、ひとつとなります。このひとつとされる麗しさを、私たちは民族を超えて世界に証しし、人々をキリストに導くのです。
エゼキエル書35章……セイルとはエドム人の象徴です。彼らは神の民イスラエルにとどめを刺すような行動に出ましたが、それがどれほど神さまの忌み嫌う行いだったか、主は語っておられます。まことに、神の民は神さまへの不従順のゆえに懲らしめにあうものですが、懲らしめ以上の侵略を神の民に働いて飽きることを知らない者には、神さまご自身がさばきを下されます。私たちはひとたび、主に敵対する者の手の下にくだることもありますが、主はその者たちがいつまでも勝ち誇ることをお許しになりません。私たちは最終的に救われるのです。
詩篇85篇……神さまの恵みは、ご自身の民をひとたび懲らしめられても、その民の傷をいやし、回復してくださるという形であらわされます。私たちは懲らしめられても、神さまの御顔をいつまでも恐れることはありません。私たちが真剣に悔い改めるならば、神さまは私たちと愛の関係を回復され、私たちをいやしてくださいます。私たちが神さまに打たれたと思うならば、神さまから逃げてはなりません。真剣に悔い改めることが必要です。
<祈りの課題>私たちが敵対する人々と和解する一歩として、人々を赦すことを学びますように。赦しにおいて、勝利する者となりますように。
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