268 9月25日 Ⅱサム21ガラ1エゼ28詩77
サムエル記第二21章……ゆえなくギブオン人の血を流したサウルの一族は、さばきを受けることになりました。しかし、そのさばきを、アヤの娘リツパはサウルのそばにいた者として、また、彼らの母親として、しっかり見届けました。リツパは子どもを失いましたが、それによってイスラエルが飢饉から救われこともまた信じ、祈り心をもって、いけにえとなった子どもたちのことを見つめたことでしょう。私たちもまた、罪のさばきから救ってくださったイエスさまの十字架を日々見つめる者とされています。
ガラテヤ人への手紙1章……私たちは教会をとおして、正しい福音を受けています。その福音のほかによき知らせというものはありません。私たちはだまされてはなりません。私たちに異なった「福音」を宣べ伝える者は呪われるべきであり、それは、神さまの祝福は「一切」臨んでいない、ということです。私たちはそのようにして教会を破壊する者に最大級の警戒をする必要があります。
エゼキエル書28章……ツロの完璧さは、主が最高の被造物としておつくりになった人間の完璧さです。しかし、その完璧さは、神さまとの関係にあってもっとも力があるものなのに、人間はその完璧さを残したまま、神さまとの関係から離れる道を選びました。それが私たちの生きている世界のありさまですが、そのような世界は、ツロを神さまがおさばきになったように、神さまのさばきのもとにあるのではないでしょうか。
詩篇77篇……詩人アサフは、自分が弱り果てたときに、主がそれまで自分になしてくださったすべてのみわざを思い起こそうと語りました。私たちも弱ります。しかしそれは、主がそれまで私たちに対し、どんなにみわざを行なってくださったかを見失っているせいです。主はいつでも変わらずに、私たちのそばにいてくださり、みわざを行なってくださいます。たとえ、私たちが落ち込んで、主を見失っていたときもです。
<祈りの課題>私たちの生きている世界が創造主から離れるのではなく、かえって、創造主を見出して、お近づきすることができますように。
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