262 9月19日 Ⅱサム15Ⅱコリ8エゼ22詩69

サムエル記第二15章……ダビデが命からがらエルサレムを逃げ出したとき、同伴することを誓ったガテ人イタイに注目しましょう。彼は亡命してきた異邦人であり、極めて弱い立場にありました。しかし彼はダビデこそ油注がれた王であり、このダビデと運命をともにすることがみこころであると信じていました。結果、イタイの誓った通りの結果となり、ダビデはエルサレムに王として戻りました。私たちも主にお従いするとき、極めて厳しい思いをすることがあるものです。しかし、主に近づき、主とともに歩むならば、そのような私たちには、この世の何ものにも代えがたい平安と祝福が伴います。

コリント人への手紙第二8章……マケドニア教会は貧しさの中にあっても、主の愛に満たされ、また、イエスさまの愛にならって、身銭を切ってささげる教会になりました。この姿はコリント教会にとってお手本であるように、私たちにとってもお手本です。私たちがこのようなお手本にならう者になるためには、まず何よりも、イエスさまが自分のことをどんなに愛してくださっているか、その愛を心から体験することです。また、ささげると「少し痛い」くらいの献金にチャレンジしてみましょう。

エゼキエル書22章……主が求めておられるのは、「破れ口に立つ人」です。身分にかかわらずどんな者も偶像に淫し、弱い立場にある者を虐げてやまないような世にあって、そのような時勢に抵抗し、まことの神のみこころをあらわすということは、極めて難しいことです。しかし、この世と調子を合わせることなく、あえてみこころに従う生き方を私たちがしていくならば、それはどれほど幸いなことでしょうか。

詩篇69篇……神の民は、霊的なシオン、神の都を永遠に受け継ぐ特権をいただいています。このような神さまとの特別な関係にあることを世の者たちはどう思ってか、私たちのことをゆえなくそしり、そればかりか、私たちの信じお従いしている神さまをそしります。しかし、そのような苦しみの中にあっても、神さまは絶対的に私たちのことを守ってくださいます。詩人ダビデは、このように責め立てる者のことをいのちの書から消し去ってくださいと祈りますが、私たち主の民を責め立てることはそれほどの大罪だと知る以上、もし私たちの肉親や親しい人がそのような大罪を犯しているならば、私たちはことのほか神さまに、イエスさまの十字架による赦しを切に求める必要があります。

<祈りの課題>私たちが、この不正と欺瞞のはびこる世界において、破れ口に立つがごとく、とりなし、社会を改革する力を発揮していきますように。

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