260 9月17日 Ⅱサム13Ⅱコリ6エゼ20詩66-67

サムエル記第二13章……ダビデ王が、バテ・シェバとの間にもうけた最初の子どもを失ったことにつづく次の懲らしめは、自分の家庭が破壊されたということでした。もし、ダビデがバテ・シェバに手を出すとはどれほど恐ろしいことかということをわかっているような高潔な価値観をもって自分の家庭を治めていたならば、このような破壊を味わわなくて済んだはずです。アムノンのしたことは、そっくりそのままダビデのしたことと生き写しで、アムノンはいわばダビデの身代わりにさばかれたようなものでした。私たちは外に表れた生き方だけではなく、家庭においても、主にお従いする生き方を全うしてまいりたいものです。

コリント人への手紙第二6章……神さまを父とする生き方を全うするためには、神さまにお従いしない者たちから離れること、そして、彼らの汚らわしい文化に自分から近づかないことです。私たちは伝道だの関係づくりだのとうそぶき、そのような彼らの滅びるべき文化に近づいて身をけがしてはいないでしょうか? しかし、それは神を父とする民としてまことにふさわしくない態度です。

エゼキエル書20章……主はご自身の民に、みこころにかなわない忌まわしいものを投げ捨てるように命じていらっしゃいます。それを投げ捨てず、神さまよりもそれらのものを慕い求めるような者に対しては、主はそれ相応のお取り扱いをなさいますが、それでも彼らがさばかれずに済んでいるのは、主がご自身のご栄光のゆえに、すなわち、偶像礼拝の民のそしりを受けないために、民にさばきを下さないでおられるからです。私たちは自分たちにさばきが下されないでいるからと、神さまを甘く見ていてはなりません。

詩篇66篇~67篇……詩人が告白するとおり、神さまのみわざはとても恐ろしいものです。主の敵もそのみわざを見て、神さまを認めて恐れるほかありません。しかし主が私たちに求めておられることは、いたずらに主を恐れることではありません。かえって、主に向かって喜び叫ぶことです。主の御名の栄光をほめ歌うことです。私たちは主を恐れる者ではなく、喜ぶ者としていただいています。この特権のゆえに、心から神さまをほめたたえましょう。

<祈りの課題>私たちが神さまのみこころから離れた民から離れ、また、彼らの文化に近づいて楽しむことがありませんように、自分を律する者とならせてください。

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