258 9月15日 Ⅱサム11Ⅱコリ4エゼ18詩62-63

サムエル記第二11章……表面的に見ればこういうことです。ダビデの忠僕の勇士は名誉の戦死を遂げた、その戦争未亡人をダビデ王がめとった、ああ、なんという美談だろうか……だれもがそう思うような「美談」は、ダビデがバテ・シェバを手に入れるためにこしらえた、どす黒い欲望の産物です。私たち主の民はひとつ間違えると、このような罪に陥ってしまいます。だれもダビデのことを並外れた罪人、悪人とさばくことはできません。ダビデのこの姿は私たちの鏡です。私たちはつねに悔い改め、罪に陥らないように自分自身を治めていただく必要があります。

コリント人への手紙第二4章……私たちは今たしかに苦しんでいます。その苦しみはあまりにも大きく、重いものであるかもしれません。しかし、それでもみことばは、今体験している苦しみは軽いものであると語ります。それよりもはるかに大きなもの、重いものは、のちの世にて受ける永遠の栄光です。私たちはこの御国の栄光を思うならば、今体験している苦しみを耐えることができるはずです。

エゼキエル書18章……主は、人が主に立ち帰って生きることを願っていらっしゃるのであって、人が死ぬことなど願ってはいらっしゃいません。私たちは生きて主のみこころにかなう者となるために、主のみことばに従順にお従いする必要があります。ほかの道によっては私たちは生きることはありません。

詩篇62篇~63篇……ダビデは荒野にありましたが、荒野にあっても彼はそこが聖所であると告白し、その場から神さまを仰ぎ見ました。その理由は、主の力と栄光を見るためであったと語ります。私たちはこの地上のさすらいの旅において、主の力と栄光を体験することなしには先に進むことのできない存在です。私たちはどこにおいても、そこにともにおられる主を仰ぎ見、心からの礼拝をささげてまいりたいものです。

<祈りの課題>私たちがいつでも、主とともに歩むいのちを選択していくことができますように。

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