257 9月14日 Ⅱサム10Ⅱコリ3エゼ17詩60-61

サムエル記第二10章……ダビデがアンモン人に戦いを挑んだ理由は、自分の臣下がたいへんな辱めを受けたということによります。もともと彼らはダビデの命(めい)を受けて、敵対する民族に対して精一杯の外交的な礼儀をわきまえて赴いたというのに、たいへんな目に遭ったわけです。ダビデはこの、自分の命を受けた臣下たちのために、最大限の責任の取り方をしました。自軍をアンモン人とアラムの連合軍に差し向け、大いなる勝利を得たのでした。主は、私たち主の民が、主の御名のゆえに負けたままでいることをお許しにならず、敵対する者たちを討ってくださいます。

コリント人への手紙第二3章……神の民であるイスラエルの人々にさえ覆いがかけられてみことばがわからなくなっているように、こんにちすべての民は、覆いがかけられてみことばを理解することができません。人がみことばを理解するためには、キリストによってその覆いが取り除けられている必要があります。キリストこそ、みことばを解き明かしてくださる唯一のお方であり、キリストなしにはいかなるみことばも、みこころにかなう形で理解することはできません。

エゼキエル書17章……神の民にふさわしいことは、神さまにのみ拠り頼むことです。世の人たちがしているように、世の勢力に拠り頼んでも、いざとなったら彼らは私たち主の民を守ってはくれません。守ってくださるのは神さまだけです。もし私たちがこの点において信仰を働かせず、神さま以外のこの世の勢力を信じ、拠り頼むようになったならば、それにふさわしい報いが私たちを待っていないでしょうか? 神さまに拠り頼まなかっただけのきびしい懲らしめが待ってはいないでしょうか? どのような状況になったとしても、神さまにのみ拠り頼む私たちとなってまいりましょう。

詩篇60篇~61篇……ダビデにまことの平安を与えた居場所は、堅固な王宮ではありません。神の臨在に満ちた幕屋です。幕屋は壁に覆われてはいませんが、神の臨在という、この世の何ものもかなわない聖性と威厳に満ちた空間です。私たちも普段の生活の中で、このような神の聖性と威厳の前に出て、平安を得る時間を確保するならば幸いです。だれにも祈っていることを明かさない「奥まった部屋」、これが私たちに必要なのです。

<祈りの課題>私たちが普段の生活の中で、祈りに集中する時間と場所を確保することができますように。

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