256 9月13日 Ⅱサム8-9Ⅱコリ2エゼ16詩58-59

サムエル記第二8章~9章……ダビデの食卓その他の恵みにあずかることになったメフィボシェテは、自分の立場をわきまえすぎるほどわきまえていました。本来ならば彼は、先王の家系の遺児として、ダビデに捨てられても仕方のない立場にありました。しかし、ダビデはサウルを油注がれた王と認めていたゆえに、このような極めて悲惨な境遇に身を落としていたメフィボシェテに、過分なほどの恵みを施しました。私たちも本来はさばかれるべき悲惨な罪人でしたが、主は私たちを救ってくださったイエスさまのゆえに、私たちに過分なほどの恵みを注いでくださいます。

コリント人への手紙第二2章……私たち教会は、みことばを宣べ伝える立場にある人に対し、自分たちの中の人間関係に起因する問題のゆえに、悲しみを及ぼすようなことをしてはなりません。そうするならばその働き人は悲しみ、それゆえに、私たちの群れ全体が悲しむことになります。私たちは悲しみをもたらす不寛容を正当化するのではなく、イエスさまが悔い改める者を赦してくださるその愛のゆえに、互いに赦し合い、共同体を喜びに満たしてまいりたいものです。

エゼキエル書16章……神の民が神さまを裏切り、偶像の民に拠り頼むようになるさまは、このように女の姦淫になぞらえられて描かれると、目をそむけたくなるほど醜いものです。しかし、神さまは民をさばかれたままにしてはおかれません。時至って、神さまは民を回復に導いてくださいます。私たちがこの箇所を読んで、自分の罪の醜さに気づかされ、いち早く悔い改めるならば幸いです。

詩篇58篇~59篇……自分には何の咎もないのに、まるで自分が罪人であるかのように悪い目にさらされるということは、私たち主の民にはあるものです。しかし、そのようなとき、私たちには拠り頼むべきお方、主がいらっしゃいます。主はすべて、主に敵対する者に御手を下されます。私たちはそれゆえ、主の敵がいつまでも永らえていると落胆する必要はありません。さばきもすべて、主の御手に委ねてまいりましょう。

<祈りの課題>私たちが普段、どれほど醜い罪を犯しているかにつねに気づかせていただき、みこころに沿った悔い改めをしていくことができますように。

コメント

このブログの人気の投稿

210 7月29日 士12使16エレ25マコ11

365 12月31日 Ⅱ歴36黙22マラ4ヨハ21

361 12月27日 Ⅱ歴32黙18ゼカ14ヨハ17