255 9月12日 Ⅱサム7Ⅱコリ1エゼ15詩56-57

サムエル記第二7章……ダビデの家は、主がとこしえの祝福をおかれた家です。ダビデは目に見える神殿を建てるに至りませんでしたが、ダビデのすえなるイエスさまは私たちのことを神殿として立ててくださり、私たちのうちに永遠に住まってくださいます。

コリント人への手紙第二1章……私たちは苦しみます。しかし私たちは、苦しんで終わりではありません。この苦しみの中で私たちは、主に拠り頼む者にしていただきます。そして、そればかりではなく、その苦しみの中で主が味わわせてくださった慰めをもって、ほかの兄弟姉妹を慰めることができるという形で、神さまに用いていただけます。このことのゆえに感謝しましょう。

エゼキエル書15章……人はいかに神の民であっても、神さまに背き、神さまの信頼を裏切るようならば、それは実を結ばないぶどうの枝のようで、切り取られて火にくべられるほかありません。枝も何の役にも立ちませんし、その火も何かを暖めることもできず、滅びるだけです。ぶどうの枝が役に立つのはただひとつ、木にくっついて実を結ぶときだけです。イエスさまにつながらないクリスチャンもこれと同じで、神さまの栄光のためには何の役にも立たず、滅ぼされるしかありません。

詩篇56篇~57篇……エゼキエル書15章の主の民の有様とちがって、主に信頼することのできる人は幸いです。そのような人は、いかなる敵のおびやかしにあっても、主ご自身がご介入くださり、特別な守りを与えてくださいます。私たちも生きているならば、多くの困難、苦難を体験しますが、そのとき呼び求めるべきお方がいらっしゃる私たちは、なんと幸いなことでしょうか。

<祈りの課題>私たちの体験する苦しみをむだにせず、苦しみの中にあるほかの兄弟姉妹を慰め励ます原動力となりますように。

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