253 9月10日 Ⅱサム4-5Ⅰコリ15エゼ13詩52-54
サムエル記第二4章~5章……4章を読むと、イスラエルの王イシュ・ボシェテも、王位継承権において高い優先順位にあったメフィボシェテも、「弱い」という印象を受けないでしょうか。ダビデはそれでも、このサウル王朝が油注がれた真の王朝であるという態度を、最後まで貫き、王のいのちをぞんざいに扱った者に対しては、それ相応の報いを与えました。ダビデの心は状況に左右されていませんでした。ダビデはどこまでも、主が人をお立てになったというその事実に根ざして人を見て、それにふさわしい行動をしました。私たちも主に油注がれたどうしならば、お互いがお互いに対してそれにふさわしい行動をするべきではないでしょうか。
コリント人への手紙第一15章……人は必ずその地上のいのちに終わりが来ますが、私たちは、それで終わりだと考えてはなりません。私たちが恐れる死は、キリストの十字架と復活という勝利に呑み込まれたゆえ、もはやその勝利はどこにもありません。私たちはこのことを知っているゆえに、もはやこれ以上恐れる必要はありません。私たちのすることは、この究極の勝利を目指して、日々労苦することです。
エゼキエル書13章……むなしい幻、主がお見せにならなかったのにいかにも幻を見たかのように吹聴するにせ預言者は、悪者に対し、悔い改めを迫るのではなく、そのまま変わらなくていいという偽りのメッセージを語って力づけます。それはどれほど主のみこころを損なうことでしょうか。私たちが力づけるべきは正しい人であり、けっしてそういう人を悲しませてはなりませんし、反対に、悪い者にはその罪の大きさを示し、悔い改めを迫る者とならなければなりません。
詩篇52篇~54篇……私たちが主にお従いしているという理由で私たちに迫害を加えてくる人たちは、神さまを知らず、したがって神さまに対する恐れがないゆえにそのようにするのです。私たちはまず、そのような人たちのゆえなき攻撃から守られるように祈らなければなりません。主は、私たちを守ってくださることにより、ご自身のご栄光を示してくださいます。
<祈りの課題>悪を行う者たちに対してひるむことなく、私たちが罪を明らかにし、悔い改めを迫る強さが与えられますように。
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