250 9月7日 Ⅱサム1Ⅰコリ12エゼ10詩49

サムエル記第二1章……サウルはダビデに悪を計りつづけましたが、ダビデは最後まで、サウルが愛される人だったと告白します。それは、サウルが主に油注がれた王だったからです。私たちクリスチャンがお互いを見る基準は、その人の表面にあらわれた性格や言動である以前に、その人に聖霊の油を注いでくださった主ご自身であるべきです。

コリント人への手紙第一12章……私たちは教会の中にあって、ほかの兄弟姉妹に与えられている賜物をうらやんだり、ねたんだりする必要はありません。なぜならば、私たちはみなすべてが主から賜物を与えられていて、その賜物の与えられたどうしが組み合わされて、ひとつの教会を形づくっているからです。私たちはむしろ、素晴らしい賜物の与えられているほかの兄弟姉妹とひとつとされていることに感謝し、誇りに思うべきです。

エゼキエル書10章……私たちの生きている世界には終わりの日があること、その終わりの日にはどれほど悲惨なさばきが臨むかということを、私たちはどれほど意識しているでしょうか。そのさばきのために主は御使いを用いられます。私たち人間には到底太刀打ちできません。私たちはただ、この主のみこころが成ることを大いに待ち望み、その日の到来を積極的に迎えるのみです。

詩篇49篇……たましいの代価はあまりにも高く、それはほかのだれも、何ものも払ってはくれません。人は罪人であるかぎり、その罪の代価を永遠の滅びという形で支払わなければなりません。イエスさまはその代価を、十字架の上で完全に支払ってくださいました。私たちが救われるためには、イエスさまの十字架を信じる以外にありません。

<祈りの課題>いずれこの地に臨むさばきを、私たちが積極的に迎えられるように、日々整えていただくように。

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