240 8月28日 Ⅰサム20Ⅰコリ2哀5詩36
サムエル記第一20章……サウルのダビデに対して危害を加えようとの思いは、遂にヨナタンにまで及びました。ここでのサウルの言動は、主が確立される王位の秩序にふさわしくあろうとしてのものではありません。もはやこれは悪霊に支配されてのものです。ヨナタンはこのような中でダビデを送り出さなければならず、それはきわめて悲しいことでしたが、同時にこのことは、主の恵みの導きに委ねることでもありました。私たちもそのようにして、別れを味わわなければならないときがやってくるものですが、そのような悲しいとき、主の御手に委ねる信仰を働かせてまいりたいものです。
コリント人への手紙第一2章……神さまのことは御霊しか知りません。私たちがこの世の人とちがって、神さまのことを知ることができるとすれば、それは御霊なる神さまが私たちに臨み、神さまについてことごとく私たちに知らせてくださるからです。私たちにこの天に属する知恵が注がれていることは私たちの素晴らしさゆえではなく、ただ神さまの恵みのゆえです。神さまに感謝しましょう。
哀歌5章……エレミヤは神さまに、神の民の悲惨な境遇を告白し、それゆえに神さまのもとに帰る恵みを与えてくださいと訴えています。まことに、主の御許に立ち帰ることも、神さまの恵みがなければ不可能なことです。私たちはそのような、主のご臨在から締め出されるような不義にとどまるのではなく、主の御許にとどまる恵みの中にいるでしょうか。この恵みをたえず求めてまいりましょう。
詩篇36篇……主の恵みはあまりにも高いものですが、なんとも感謝なことに、この、私たちには及びもつかないこの恵みを、主はいと低き私たちに注いでくださいました。この恵みが注がれることにより、私たちは主がおられる天上の恵みにあずかる者としていただきました。私たちはそれゆえに、この地上において天上の主と絶えざる交わりを持つことが許されています。
<祈りの課題>私たちが神の霊により、ますます神さまを知る知識に満たされていきますように。
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