237 8月25日 Ⅰサム17ロマ15哀2詩33

サムエル記第一17章……ダビデはサウル王の下賜品にも等しい武具と武器を拒否して戦いに出ていきました。私たち主の民にとって戦いは真剣です。たとえ自分に対して影響力を及ぼせる立場にある人の「ありがたい」アドバイスも、時と場合によっては拒否して、主にあって確信するところに進みゆく勇気も必要です。ダビデは、サウル王との関係以上に、主との関係に根ざして行動しました。

ローマ人への手紙15章……霊的な祝福を受けた者は物質的な奉仕をその人にすべきである、という、パウロのことばに注目しましょう。みことばを教える立場にある人は、たしかにあふれるばかりの主の恵みに動かされて、無償でもいいから奉仕したいという気持ちに満たされたいます。しかし、その奉仕者の恵みを受ける立場にある人は、その奉仕を当然のものと受け止めるようであってはいけません。奉仕者が相応の犠牲を払っていることに対する感謝を、それなりの形にして、その働き人を送ってくださった主への感謝を表すべきです。礼拝における献金も礼拝の一部であるということは、そういう意味です。

哀歌2章……主の民の壊滅的な滅亡は、主に敵対する者どもが心から待ち望んでいたものだといいます。しかし、このような滅びをもたらしたのは強大な敵ではなく、主を捨てて偶像に走った主の民です。そのような民に対し、主は怒りをもって臨まれます。私たちもまた、主はまだ怒っておられないとばかりに、勝手なことをしていないでしょうか? そのような者が敵の攻撃にあい、敵のあざけりの的となったら、どうするのでしょうか? そのような絶望的な状況に陥る前に、つねに主との愛の交わりの中にとどまっている必要があります。

詩篇33篇……主が仰せられるとそのとおりになる、これは事実であり、私たちは何よりも、このことに信仰を働かせるべきです。このように御思いをみことばにしてお語りになって私たち人間に知らせてくださり、そのはかりごとをそのとおりになしてくださるのですから、私たちがこの世界を生きていく上ですべきことは、主のみことばをそのとおりに受け取り、みことばを語り伝えることです。

<祈りの課題>私たちにとっての戦いの武器(ダビデにとっては川原の石)が何であるか、主が明らかにしてくださり、それを普段から、またいざというときに使いこなすものとなりますように。

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