236 8月24日 Ⅰサム16ロマ14哀1詩32
サムエル記第一16章……主の霊が臨む人は、人のたましいを回復に導きます。そのような人はいつまでも隠れていることはありません。王の前に引き出されたように、用いられるべき場所で用いられました。私たちにも主の霊が臨んでいる以上、人を癒す働きに用いていただけます。私たちは、主がお入用だとおっしゃるとき、お応えする信仰の準備ができていますでしょうか?
ローマ人への手紙14章……私たちはつい、自分の信仰スタイルがいちばんしっくりきていると思うあまり、それが真理だと思い込み、そのようなライフスタイルを持たないほかの兄弟姉妹をさばいてしまうものです。しかし、忘れてはならないのは、彼らほかの兄弟姉妹は私たちに属するのではなく、主に属しているということ、したがって、彼らもまた主との関係の中で生活しているということです。彼らをさばくことは、彼らとの関係を結んでおられる主をさばくことであり、たいへんなこと、してはいけないことです。私たちはそういうわけで、ほかの兄弟姉妹が大切にしている神さまとの関係を尊重してまいりたいものです。
哀歌1章……主に対する背きの罪を犯したならば、その刈り取りもすることになります。しかし、その刈り取りはあまりにも悲しく、涙を流すしかないものです。主は私たち人間に、黄海の涙を流すという感情をお与えになりました。このような悲しみと苦しみの中で、人は自分のしたことの重大さにあらためて向き合い、悔い改め、神さまを求めるようになります。ゆえにこれは、神さまとの関係を結び直すために必要な過程であり、この過程をなおざりにしてはなりません。
詩篇32篇……哀歌にも共通する主題、罪の中で御手が重くのしかかる人のさまを描いています。しかし、この詩篇には希望があります。詩人は主に向かって自分の咎を、自分の背きの罪を隠さず告白したとき、主がその罪のとがめを赦してくださるという体験をしたのでした。私たちもそうです。主の御前にて自分の罪を正直に認め、告白し悔い改めるならば、主はその罪をことごとく赦してくださいます。悔い改めを恐れたり、恥ずかしがったりするべきではありません。
<祈りの課題>私たちが罪を犯すようなとき、すぐにでも悔い改めて神さまとの関係を結び直す恵みをたえず体験させていただきますように。
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