234 8月22日 Ⅰサム14ロマ12エレ51詩30
サムエル記第一14章……サウルが立てた誓い、だれでもその日に食べ物を口にする者はのろわれる(死ななければならない)というものは、あまりにも間違ったものです。この箇所を読むと、一見すると息子ヨナタンは父親に不従順なようでしたが、彼の従順の対象は主ご自身でした。ゆえに彼は主の御声を聴いて行動したまでのことです。彼は危うく死にそうになりましたが、軍団の声によって彼が生きることができたのは、主のお導きで、これによってサウルはますます面目を失うことになりました。
ローマ人への手紙12章……礼拝というものは、日曜日の限られた時間にささげるものだけを指すのではありません。もちろんその礼拝もとても大事ですが、ほんとうの礼拝は、世に出ていって人々の前で主にある生き方を示していくときに実現します。私たちの従順の生き方を見て、人々も神さまを礼拝するようになる、それを私たちは目指してまいりたいものです。
エレミヤ書51章……主に敵対するバビロンの完膚なきまでの滅びが宣告されています。主はまた同時に、この中に住む主の民が逃れて、バビロンの破滅に巻き込まれないようにとも語っておられます。私たちの生きる世界も、その支配主であるサタンとともに滅ぼされます。そのとき私たちの逃れる先は、天のシオン、主のみもとです。私たちにはいついかなるときにも逃れるお方がいらっしゃることに感謝しましょう。
詩篇30篇……私たちはときに自分の犯した罪深い行いのゆえに、主の御怒りに触れて懲らしめを受け、涙します。しかし、主はいつまでも怒ってはおられません。もし私たちが悔い改めるならば、主は何度でも立ち上がる力と、その力を用いて主のご栄光をあらわすチャンスを、私たちにくださいます。今日も主のご栄光を顕す機会が与えられていることに感謝しましょう。
<祈りの課題>主が私たちを罪から遠ざけ、どんなときも主のご栄光を顕す証し人となれるように整えてくださいますように。
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