233 8月21日 Ⅰサム13ロマ11エレ50詩28-29
サムエル記第一13章……当時のイスラエルがペリシテに対してどれほど劣勢だったかというと、日常生活の器具を銀貨3分の2シェケルでわざわざペリシテに行って打ち直してもらって武器にしていたほどで、剣に至ってはサウルとヨナタン王子しか持っていませんでした。そのようにサウルはきわめて追い詰められていましたが、起死回生の手段として、サウルはサムエルが来るのを待たずに、勝手にいけにえをささげてしまい、それゆえに、代々永続するはずだった王位を自ら手離してしまいました。私たちも、いま自分が置かれている状況が極めて厳しいために、うかつな選択をする誘惑につねにさらされています。しかしこのようなときこそ、私たちは落ち着いて主のお導きにお従いすべきです。主のみこころはときに、厳しい状況に心がざわついているようなときには見えなくなるものです。
ローマ人への手紙11章……私たち異邦人の救いは、やがてイスラエルの救いにつながります。人類全体に及ぶ壮大な救いのご計画の完成は、イスラエルの救いをもって成し遂げられます。私たちはイスラエルに対して、遠い中東の一国だからと、無関心であってはなりません。イスラエルと、世界に離散しているユダヤ人の救いを覚えて、積極的に祈りましょう。これはみこころにかなったことです。
エレミヤ書50章……主の民を懲らしめる役割を果たすバビロンを、主は最終的にさばかれます。このことにより、主の民は回復をいただきます。主は、ご自身の愛する者たちが罪の中にとどまらないように、時には敵の手を用いてでも懲らしめられますが、同時に主は、敵が勝ち誇ったままにはなさいません。必ずおさばきになり、ご自分の民の回復をもって、そのご栄光を顕してくださいます。
詩篇28篇~29篇……29篇には「主の声は」ということばが7度繰り返し登場します。主の御声にどれほど力があり、威厳があり、その前に立ちおおせるものはないか、この描写に私たちちっぽけな者たちは震え上がらないでしょうか? しかし、同じ主の御声によって、私たちは慰められ、癒され、励ましていただいたりもします。今日もこの大いなる主の御声に耳を傾ける幸いが与えられていることに感謝しましょう。
<祈りの課題>私たちを取り巻く環境がどんなにきびしくても、あるいは、100人のうち99人が間違った道を行くようなときも、妥協せずに主のみこころを最後まで守り行う力を、主が私たちに与えてくださるように。
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