232 8月20日 Ⅰサム12ロマ10エレ49詩26-27

サムエル記第一12章……サムエルは、イスラエルの民が王を求めたことをはっきり悪であると語る一方で、イスラエルの民のために祈ることをやめるのは罪であるから、祈るのをやめることなどできないと宣言しました。私たちがもし、とりなしの祈りをやめてしまうならば、それは罪です。今日もこの世界を覚え、とりなして祈ってまいりましょう。

ローマ人への手紙10章……私たちはもともとが異邦人であり、民族を挙げて神さまを求めることのなかった者たちです。しかし、神さまは恵みによって、キリストを宣べ伝える宣教のことばをとおして私たちのことを救ってくださり、ご自身の民にしてくださいました。このように、神さまが恵みをもって救ってくださる人たちが起こされるために、私たちは主の器として用いられます。私たちがその御手に自分自身を差し出すとき、そこには大いなる御業が起こされると期待しましょう。

エレミヤ書49章……神さまは、主の民イスラエルに敵対する民族に対してさばきと滅びを宣告される一方で、彼らのことを終わりの日に回復されることを同時にお告げになりました。この場合、さばきは天下から消し去られる滅亡を意味するのではなく、最終的には悔い改めによって神さまのみもとに立ち帰ることによって救われるための道を意味します。私たちの民族もかつては滅びを体験しましたが、そのような中で今こうして私たちが救われ、主の回復の御業が実現しつつあります。恐れつつこの救いのみわざを完成させていただき、この民の救いのために用いていただきましょう。

詩篇26篇~27篇……私たちにとっての祝福は、いのちの日のかぎり主の家に住まうことです。それは、主が私たちといつまでも、どこにでも、ともにいてくださるということです。この祝福があるかぎり、私たちは主の家に住まう祝福をいただいているわけですが、私たちがそのように、主の家に住まっているにふさわしい行動をしているか否かで、私たちの受け取る祝福は違ってまいります。この祝福の中にいることをつねに思い、今日も主がともにいてくださる恵みを体験してまいりましょう。

<祈りの課題>ともにおられる主の恵みの中に住まおうという意識をしっかり持ち、目を留めるべきではないものを避け、目を留めるべきものに積極的に目を留めていくことができますように。

コメント

このブログの人気の投稿

210 7月29日 士12使16エレ25マコ11

365 12月31日 Ⅱ歴36黙22マラ4ヨハ21

361 12月27日 Ⅱ歴32黙18ゼカ14ヨハ17