230 8月18日 Ⅰサム10ロマ8エレ47詩23-24
サムエル記第一10章……この箇所を読むと、油注ぎは、公になるまであえて公言するような性質のものではないことがわかります。神さまは時が来れば、その油注ぎを公にしてくださるわけで、サウルがそうなる前に自分のおじ(アブネル?)に告げなかったのは、知恵ある行動だったと言えます。私たちにも主の油が注がれている以上、主は私たちのことを必ず用いてくださいますが、その御力が臨む前にわざわざ私たちは、自分のことを力ある者のように公言する必要はないわけです。
ローマ人への手紙8章……私たちは神さまのきよさに出会い、そのきよさの法則ゆえにさばかれることを意識してはいないでしょうか。しかし、私たちのさばきはイエスさまがことごとく受けてくださいました。私たちはもはやさばかれることがありません。神さまご自身が私たちの味方でいてくださっています。
エレミヤ書47章……神さまはさばき主です。神さまがひとたびさばきを定められたならば、そこから免れることのできる人はだれもいません。しかし、神さまは私たちを、恵みによって救ってくださいました、そのさばきをイエスさまがことごとく受けてくださり、イエスさまのその十字架の贖いを信じるように、神さまが私たちを導いてくださったからです。
詩篇23篇~24篇……私たちが人生において勝利するには、勝利の主なるイエスさまを自分の心の扉の中にお迎えすることです。心の門の扉を開くのは、私たちの側ですることです。主はいつでも、私たちに勝利を与えてくださることを願っていらっしゃいますが、私たちの側の応答がまず必要になります。心の扉を開き、主をお迎えしましょう。
<祈りの課題>私たちがイエスさまの十字架を信じる信仰ゆえに、神さまのさばきを免れていることに感謝しましょう。
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