227 8月15日 Ⅰサム5-6ロマ5エレ44詩19

サムエル記第一5章~6章……ペリシテは神の箱を奪いましたが、それをどうすることもできませんでした。奪って自分たちのものにしようとしたばかりに、たいへんな災難を被(こうむ)ることになりました。彼らは、イスラエルに勝利をもたらすその霊的な力を手に入れたかったのでしょうが、神さまはそのような、偶像のように人に仕える存在ではありません。私たちも、神さまの御前でどのように振る舞っているか、その姿勢が問われます。私たちは神さまを、何かの機会に呼びつけて自分の欲望を満たしてくれるような、しもべのようにしてはいないでしょうか? そのような姿勢で信仰生活を送っているならば、悔い改めるべきです。

ローマ人への手紙5章……私たちは罪人ゆえに、神の怒りを受けるべき存在です。神の怒りを受けるならば、だれも生きることができません。しかし、御父なる神さまは、そのような私たちをご自身の怒りからお救いになるため、イエスさまを十字架につけられました。私たちはイエスさまの十字架を信じれば救われますが、その救いは何からの救いかというと、何よりも、神の怒りからの救いです。

エレミヤ書44章……主を捨てて偶像を拝む者は、その偶像礼拝の結果大いなる栄えを得たと思っていても、主が必ず滅ぼされます。そのことを知っているエレミヤが、偶像礼拝におぼれる者たちにみことばにより警告するのは大変な力を要したことで、どんなに語っても彼らは聞きませんでしたが、それでもエレミヤは語りつづけました。ここに、預言者の忍耐を見ることができます。私たちが生きている世の中も、主の警告のみことばを拒否する限り滅びますが、彼らは本気にして聞くことをしません。それでも私たちがみことばを語りつづけるのは大変な忍耐を必要とすることですが、私たちはどうかその力を、神さまからいただいてまいりたいものです。

詩篇19篇……私たちを教え諭すみことばをお語りになる主は、天地万物を秩序と美をもって統べ治める創造主です。私たちはこの被造物の雄大さに触れ、このお方の御前にひれ伏し、このお方の語られるみことばゆえに従順にお従いすることを願うのです。私たちの周りには今日も、被造物の雄大な世界が存在し、活動しています。これらの被造物に目を留めて、創造主に思いをはせ、創造主のご存在とそのみことばの前に、今日もひれ伏しましょう。

<祈りの課題>私たちをイエスさまの十字架によって怒りから救ってくださる神さまをほめたたえます。

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