226 8月14日 Ⅰサム4ロマ4エレ43詩18

サムエル記第一4章……イスラエルは自分たちの陣営に勝利をもたらそうとして、神の箱を戦陣に持ち込みましたが、結果、大敗を喫し、祭司ホフニとピネハスは殺され、神の箱は奪われました。つまり、この戦いにおいては、神の箱の神通力に拠り頼もうとしたイスラエル軍の浅はかさが露呈してしまったばかりではなく、致命的な被害を負ってしまったわけでした。これは私たちにとっても警告の記述ではないでしょうか。私たちは神さまの栄光と関係なく、自分の栄光のために神さまの御名を利用しようとすると、痛い目に遭います。神さまの御名は人間的に利用されるような、軽薄なものではありません。

ローマ人への手紙4章……私たちはアブラハムのことを「信仰の父」と呼びます。アブラハムは律法が与えられる以前、まさしく、信じることで義と認められるというみこころにかなうものとなりました。私たちもアブラハムにならうものであり、膨大にして複雑な聖書のみことばをすべて守り行うことによって救っていただくのではなく、イエスさまの十字架を信じる信仰によって救っていただきます。私たちはユダヤ人ではなく異邦人でしたが、この信仰による救いに入れられ、神の子どもとしていただきました。

エレミヤ書43章……エレミヤを抱き込もうとしたユダの者たちはエジプトに拠り頼むことでいのちを長らえようとしましたが、エジプトの実体は、創造主なる神さまではない、神々に仕える異教の宗教的な国家であり、彼らはエレミヤの宣べ伝える神さまよりも、異教の神々の庇護を受けようとした、ということになります。しかし、主のお許しによって放たれたバビロンの王ネブカドネツァルは、エジプトとその神々を完膚なきまでに滅ぼすと、エレミヤは宣告します。神さまに従順にお従いすることは、ときに自分にとって我慢できないようなプロセスを経るように思えても、お従いすべきときにお従いしなければなりません。さもなくば、その拠り頼んでいた神ならぬものともども、手ひどく損なうことになりかねません。

詩篇18篇……私たちは神につく者ですが、時に私たちは、神の敵の手によって手ひどく痛めつけられることがあります。しかし私たちには、武器よりも強力な対抗手段があります。それは、すべてを統べ治めていらっしゃる創造主なる神さまに叫び求めて祈ることです。神さまは私たちの叫ぶ祈りにこたえてくださり、私たちを痛めつける、すなわち、神さまとその陣営を攻撃する者たちに、手ひどく報復してくださいます。神さまは私たちの味方なので、何者も私たちに敵対することはできません。この絶対的な守りを確信して、今日も神さまに感謝しつつお従いしてまいりましょう。

<祈りの課題>私たちがどんなときも、神ならぬものに従うことを選ぶのではなく、神さまにお従いすることを選んでいけますように。

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