219 8月7日 士21使25エレ35詩7-8
士師記21章……イスラエルは民族からベニヤミン部族がかけないように配慮しましたが、そのために取った行動は相当に乱暴なものでした。そのような手段を取らざるを得なかったのは、残る11部族から嫁がせるならば呪われると神に誓いを立てていたからでしたが、ここに彼らの葛藤を見ることができます。ベニヤミン部族はさばかれるべき、しかし同時に守られるべきという心情の間を、全イスラエルは揺れ動きました。しかしいずれにせよ、ベニヤミン部族は守られ、その部族からイスラエルを治めるサウル王が起こされたのは、主の特別なお取り計らいによることでした。
使徒の働き25章……この章は基本的に、パウロの裁判をめぐる権力者どうしのやり取りで構成されていますが、一見すると極めて不自由な立場に置かれていたパウロは、かえってこのように守られていたことにより、社会に対して影響力のある場所において堂々と福音を語る機会が与えられていたといえます。しかしこれはカエサルに上訴することを希望したパウロの選択による結果でした。どのような状況に置かれても福音を宣べ伝えるために最善を尽くす姿勢を、私たちはここに見ることができます。私たちもいざというときに取るべき選択をすることができるように祈ってまいりたいものです。
エレミヤ書35章……自分たちの言い伝えは後生大事に守り行なっても、いざ神さまからみことばが与えられたときにはそれを守らない……この時代のユダヤはまさにそのような状況にありましたが、私たちもひとつ間違えれば、そのような、従順の対象を取り違える罪を犯すことにもなりかねません。そのような罪を犯すのは、心の状態が主の御前に正しくなく、悪いからです。私たちは主への従順を果たすために、いついかなる時もきよめをいただいていく必要があります。
詩篇7篇~8篇……詩人ダビデは、自分の敵に対するさばきを主に祈り求める前に、まず自分のことを主のさばきの座に差し出し、公正であるように祈っています。私たちは主のさばきの前に立ちおおせるでしょうか? しかし主が、人が御前にてきよい者であることを願われるゆえ、私たちはさばき主のさばきに耐えられるように、日々イエスさまの十字架の血潮によるきよめをいただいていく必要があります。私たちの罪は緋のように赤いです。しかしイエスさまは、私たちの罪を雪よりも白くしてくださいます。きよめ主なる主の御前に、日々自分を差し出してまいりましょう。
<祈りの課題>日々自分の罪を悔い改め、きよめをいただきつつ生きることを常とする私たちとなりますように。
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