209 7月28日 士11:12-40使15エレ24マコ10

士師記11章12節~40節……エフタの娘の従順をご覧ください。主がイスラエルに勝利をもたらされたことを娘は感謝し、主の御名をほめたたえるゆえに、きわめて不条理なこの誓いに応えようとしました。もちろん、神さまはこのような犠牲を人にお求めになるお方ではなく、エフタは極めて愚かな誓いをしたとも言えなくもありませんが、それはともかく、私たちの献身や従順は、このエフタの娘のことを思うと、口だけのものにしかなっていないと恥じ入りはしないでしょうか。

使徒の働き15章……律法に生きることは、キリスト以前の主の民にもできなかったことです。それなのに、イエスさまを信じる信仰が宣べ伝えられたのちも、依然として律法主義に生きるように導こうとする勢力は、なかば自然発生的に教会の中に現れるものです。私たちはそれゆえ、まず自分自身が主の十字架に生きるようにこだわり、その生き方を教会の中に伝える必要があります。

エレミヤ書24章……主がみこころにかけてくださるということは、主を知る心が与えられるという形で実を結ぶものです。金銭的な祝福や健康上の祝福、人間関係の祝福があることを、私たちはつい、主がみこころにかけてくださっている結果だと考えてはいないでしょうか? しかし、神さまご自身を知るということはそれ以上のことで、神さまを知ることができるということは、それだけ神さまに気をかけていただいているということです。

マルコの福音書10章……「夫が妻を離縁することはみこころにかなっている」ということは、特に離婚することが当たり前になっている現代のキリスト教会においては、お墨付きのように「必要な」原理になってはいないでしょうか。しかし、忘れてはならないのは、この原理はもともとが、イエスさまのことばじりをとらえて、教師失格の烙印を押そうとしたパリサイ人の罠だったということです。結婚とは、神さまがひとつに結び合わせてくださったもので、それを引き離してはならない、これこそがほんとうの原理原則です。

<祈りの課題>神さまが私たちに、神さまを知る恵みを日々豊かに与えてくださるように。

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