207 7月26日 士9使13エレ22マコ8
士師記9章……不正な手段でイスラエルの王にのし上がったアビメレクは、結局自滅することになります。みことばは、それが「悪の報いを彼の頭上に返された」ことであると評価しています。わが世の春を謳歌するような権力者のゆえに、この世界、わけても主につく者たちは苦しめられるのが世の常です。しかし、主は必ず正義を実現してくださるという信仰をもって、最後まで耐え忍んでまいりたいものです。
使徒の働き13章……アンティオキア教会は、せっかくの働き人となったバルナバとパウロを宣教師として送り出す決断へと導かれました。私たちは、できれば働き人を自分のところにとどめておきたいと願うものです。しかしそれでは、いつまでたってもみことばは地の果てへと伝わってまいりません。どこかで私たちは、大事な働き人であっても主の御手にゆだね、手離す決断をする必要があります。私たちにとってそれはだれでしょうか。
エレミヤ書22章……私たちがもし、主を知っていると主張するならば、私たちの生活は、公正と義を行うという形で、また、虐げられた人、貧しい人の訴えを擁護するという形で実を結んでいるはずです。そういうこともなく、自分のことしか考えないような者は、主を知っている、信じているということはできません。私たちは生活のただ中で、他者に対するあわれみの実を結んでいますでしょうか。
マルコの福音書8章……私たちは羞恥心を備えた人間ですから、恥じるものはたくさんあるでしょう。しかし、絶対に恥じてはいけないものがあります。それはイエスさまとそのみことばです。私たちはイエスさまとそのみことばを信じているゆえに、人々からあることないことを言われます。しかし、どんなことを言われたとしても、イエスさまとそのみことばを恥ずかしいと思ってはなりません。終わりの日に、そのような言動が主の評価の対象となり、さばかれることのないためです。
<祈りの課題>私たちが主にあってあわれみを注ぐべき人に、主が出会わせてくださるように。
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