206 7月25日 士8使12エレ21マコ7
士師記8章……ギデオンはイスラエルに、私や私の息子ではなく、主があなたがたを治めますと宣告しました。しかし、そのことばを受け取ったはずのイスラエルは、敵から奪い取った飾りでつくったエポデのところで淫行を行うようになりました。つまり、主が治めてくださることが、イスラエルの間で徹底していなかったということです。私たちも、自分たちのことを主が治めてくださるという信仰は持っているでしょう。しかし、私たちにとっては霊的姦淫の罪につながる罠となるものがあるものです。私たちにとってそれは何でしょうか。
使徒の働き12章……主の御名を宣べ伝えたというそのことのために理不尽にも牢に入れられるということはあるものです。そのとき教会のすべきことは、熱心にとりなしの祈りをささげることです。主がこのとき、教会の祈りを聴かれ、ペテロをその祈り手たちと再会させてくださったように、主は私たちの祈りを聴かれ、奇跡を起こしてくださいます。そのように信じて祈ってまいりましょう。
エレミヤ書21章……ゼデキヤたちは、自分たちは助かるということを託宣としてエレミヤから受け取ろうとしていました。自分の望むことがみこころであるようにと願ってのことでした。しかし主は、もともとがそのようにみこころを曲げる者たちである彼らに対し、徹底したさばきを下されることを宣告されました。みこころというものはどんなに人間の側で願っても、都合よく曲げることのできないものです。私たちは祈る際、願望を並べ立てるよりも、主のみこころに従順にお従いしようという姿勢で祈っていますでしょうか。
マルコの福音書7章……人は罪を犯して汚れます。その汚れは外から取り込むもののせいだと考えてはなりません。人が罪を犯すのはいつでも、自分の心の中の悪い欲望の問題です。自分の心が選択して悪いものを取り込むのであって、悪いものが周りに置かれているせいにしてはなりません。私たちが第一にすることは、悔い改めです。
<祈りの課題>自分と関係のある主の働き人の安全が守られますように。
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