204 7月23日 士6使10エレ19マコ5
士師記6章……主がギデオンを勇士としてお立てになるプロセスは、説得のプロセスということができます。主は何度となく奇蹟を見せて、ギデオンこそがイスラエルに勝利をもたらす勇士であることを示してくださいました。私たちはどうでしょうか? たしかに私たちは、ギデオンのような派手な奇蹟を体験していないかもしれません。しかし、今日もいのち与えられて生きていること、主が信仰を与えてくださりイエスさまに従うようにしてくださっていること、みな奇蹟ではないでしょうか? その奇蹟の中で、主は今日も私たちを、主の敵に打ち勝つ者としてくださっています。
使徒の働き10章……コルネリウスは神さまに選ばれて、ペテロの宣教を通して救いを受けましたが、もともと彼は祈りと施しの人で、その信仰の実践を神さまは覚えておられました。福音を受け入れるには、それ相応に心が整えられていることも必要だということを、この箇所から知ることができます。私たちが宣教すべき人々が、福音の種を受け入れるにふさわしい良い地として整えられますように祈りましょう。
エレミヤ書19章……焼き物の瓶が砕けると元に戻らないように、主が人を砕かれると、元に戻ることはありません。それほどの権威をお持ちの主を、私たちはいとも簡単に裏切ったりはしていないでしょうか? 主はたしかに、どんな罪でもイエスさまの十字架を信じる信仰ゆえに赦してくださいますが、その罪の赦しを安売りするようなことがあってはなりません。救うことのみならず、滅ぼすことのおできになる主を恐れましょう。
マルコの福音書5章……悪霊が追い出された人は、イエスさまについて行くのではなく、その地でみわざを宣べ伝えるようにと、イエスさまに遣わされました。主の弟子の群れの共同生活に入ることを含む献身の生活は、どのような形であれ、「主が具体的に何を自分に求めておられるか」を知り、そのみこころに従順に従うことがいちばんの基礎となります。自分のしたいように生きることは献身とは言いません。もし献身を志すならば、主のみこころをはっきり知るまで、主の御声をしっかり聴きつづけることが必要です。
<祈りの課題>献身を志す私たちに対する主のみこころは何であるか、私たちが具体的にしっかり受け取る者となりますように。
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