203 7月22日 士5使9エレ18マコ4

士師記5章……イスラエル、神の民を象徴するものは、主への賛美の歌です。ここではイスラエルのリーダーであるデボラと、将軍であるバラクが歌っていますが、勝利を得ることができたのは自分の力ではなく、主がもたらしてくださったからであることを告白し、主にご栄光をお帰ししています。私たちはこのように、力強い賛美に満たされる生き方を普段からできていますでしょうか。賛美のうちに住まわれる主を体験する生き方をつねにする私たちとなりますようにお祈りします。

使徒の働き9章……教会を迫害することは、イエスさまを迫害することです。なぜならば、教会とはキリストのみからだであるからです。そしてキリストは、神の御子、神さまそのもののお方でいらっしゃいます。サウロは神への熱心に燃えるあまり教会を迫害しましたが、その熱心はまったく間違っていました。神さまはそのようなサウロを捕らえ、まことの宣教者としてくださいました。私たちは教会を愛していますでしょうか。教会を愛するならば、それを聖なるキリストのからだと受け入れ、おいそれとないがしろにするようなことはできないはずです。

エレミヤ書18章……私たちはあまりにも美しく、あまりにも力があり、あまりにも知恵があるので、つい創造主の存在を忘れて、自分勝手に振る舞ってしまうものです。しかし私たちは、そのような自分たちが実は創造主の手の中にあり、いつでも壊され、いつでもつくり変えられる存在であることを認める必要があります。私たちがそのようなへりくだった者となるには、自分たちだけを見つめていてはだめです。それで見えてくるのは、美しさや力強さや知恵ばかりだからです。みことばと祈りをもって、日々主の御前に自分を差し出すことです。そうすれば、主の御手によりつくり変えられる喜びを知ることができます。

マルコの福音書4章……私たちは、難解な聖書のみことば、イエスさまのたとえ話のほんとうの意味を知る権限が与えられています。たとえの箇所の続きを読めば、その意味がわかるからです。ということは、このように例えだけではなく解き明かしまで収録された形でみことばが与えられている私たちは、凡庸な「群れ」ではなく、「弟子」に比肩する存在であると自覚するべきです。

<祈りの課題>平凡な生き方で満足せず、キリストの弟子としての自覚をもって生きていけるようにしてください。

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