201 7月20日 士3使7エレ16マコ2
士師記3章……士師オテニエル、エフデ、シャムガルの三代の記録です。この戦いのとき、神さまはイスラエルに対して、懲らしめというみこころのほかに、次世代を戦いに備えて鍛えられるというみこころを持っていらっしゃいました。私たちは日々の戦いにおいて、鍛えられてさらなる戦いに強力に臨むことができるという恵みをいただいています。
使徒の働き7章……ユダヤ人たちは、みことばの解き明かしを聞いてもなお心が頑なで、そのみことばによって悔い改めるどころか、みことばを説くステパノを虐殺しました。しかしステパノは、その殺人の罪を犯す者たちを赦してくださるように、御父に祈りました。私たちもまた、みことばを語るゆえに人々の反対や迫害にあうでしょう。しかしそのようなとき、そのような罪を犯してやまない彼らが神さまに赦されるように祈ることができるでしょうか。その謙遜な心が与えられるように、豊かに赦してくださるイエスさまとの交わりを日々保ってまいりましょう。
エレミヤ書16章……イスラエルに対する完膚なきまでのさばきの警告がなされた理由は、彼らが主を捨ててほかの神々に走ったからです。しかし、このような完膚なきまでのさばきは、本来ならば主に敵対する異邦人たちに下されるべきものでした。主は、たとえそれがご自身の民であったとしても、ご自身を捨て去る者には同等のさばきを下される、公正なお方です。
マルコの福音書2章……麦畑から穂を取って食べることは泥棒ではなく、律法で許されていることです。ところがパリサイ人は律法を拡大解釈し、そのことは安息日にしてはならないとなじりました。もし私たちが、安息日の規定のような律法の条文を重要視するあまり、聖霊の宮なる肉体の回復も持てなくなるようならば、本末転倒です。私たちは人を不自由にする律法主義から少しでも自由になり、私たちもまた、福音によって人を自由にする人になりたいものです。
<祈りの課題>私たちがみな、人を赦し、自由にする、イエスさまのお心をわがものとして生きることができますように。
コメント
コメントを投稿