200 7月19日 士2使6エレ15マコ1
士師記2章……主にお従いする世代が交代したとき、民が主にお従いすることをやめ、偶像に淫するようになるという問題が起こることは、主が警告されたとおりですが、果たしてそのとおりになりました。そのたびに民は苦しみました。しかし、苦しみの中で主に叫び求めたならば、主は助けを起こしてくださいました。私たちにもそのように助けの御手を伸ばしてくださると私たちは信じるべきですが、しかし私たちは主を試みて、罪におぼれるようなことがあってはなりません。懲らしめの御手が臨む前に、私たちは主への従順を欠かさないようにしたいものです。
使徒の働き6章……ステパノは偽証により訴えられたその機会を、かえってイエスさまを証しする機会として用いました。そのとき彼の顔は御使いのように輝きました。それはまた、彼のいのちがいまにも地上から取り去られようとしていたときでもありました。私たちはいかに生きるかということと同じほど、いかに死ぬかということが大事です。いのち果てるその日に向けて、私たちはいかに主との歩みをしていくべきでしょうか、祈りつつ考えてまいりたいものです。
エレミヤ書15章……主のしもべはみことばを至上の楽しみとする人です。その価値観のゆえに、世の価値観に染まった者たちからは迫害の憂き目にもあうものですが、主はそのような者たちの手から必ずしもべを助け出してくださいます。迫害を恐れず、主にお従いすることをやめないでまいりたいものです。
マルコの福音書1章……イエスさまを証しすることはすばらしいことですが、悪霊や、イエスさまのご命令に不従順な者が証しすることはふさわしくありません。私たちは聖霊に満たされ、心からの従順をもって主を証しすることが必要です。それでこそ私たちの証しは用いられます。
<祈りの課題>主に用いられるにふさわしい証し人となれるように、主よ、私たちを整えてください!
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