199 7月18日 士1使5エレ14マタ28
士師記1章……アドニ・ベゼクは、70人の王を奴隷として扱ったその報いがイスラエルによって下されたことを嘆きました。主は報いをされる方です。イスラエルのカナン侵攻も、神の前に大いに罪深いその地をさばかれるために主がイスラエルをお用いになったという前提をもとに考える必要があります。
使徒の働き5章……使徒たちは、イエスさまが受難にあわれたように、投獄されて法院に引き出され、鞭で打たれるという迫害にあいました。そのことを彼らは喜びました。まことに、主の御名のゆえに迫害されることは悲しむべきことではなく、ましてや恥ずべきことでもなく、喜ぶべきことです。私たちはこの最高の喜びをわがものとすべく、日々自分の十字架を背負っていこうとしているでしょうか?
エレミヤ書14章……預言をすると自称する者は、いかに主の御名によってもっともらしいことを語っても、彼らのことを主が遣わされたのでない限り、そのことばはむなしく、主はそのことばのゆえに彼らのことをおさばきになります。私たちは何やら霊験あらたかな人の語ることばにいとも簡単に左右されてはいないでしょうか。私たちは、まことの神のことばである聖書を何よりもよく理解し、聖書によってすべてを吟味できるようになる必要があります。
マタイの福音書28章……女性たちは復活のイエスさまのそばにいつまでもいたかったことでしょう。しかしイエスさまは彼女たちに、弟子たちのもとに赴いて彼らにガリラヤに行くように伝えよと、新たな使命を与えられました。私たちはイエスさまとの交わりの中で平安と喜びを体験するものですが、イエスさまはそこから私たちに使命を与えられ、この世に遣わされます。私たちはいかなる使命をいただいているでしょうか。
<祈りの課題>私たちが、いかに影響力を及ぼす人のことばであろうともうのみにせず、まずみことばを学んであらゆることばや教えを吟味すべく成長できますように。
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