174 6月23日 申28:20-68詩119:25-48イザ55マタ3

申命記28章20節~68節……イスラエル、主の民が主に聴き従わなかった場合、どのような呪いが民に臨むかが具体的に、これでもか、これでもかと書かれています。これほどのことは一つとして起こってほしくないことですが、注目すべきは63節、「かつて、主があなたがたを幸せにし、あなたがたを増やすことを喜ばれたように、主は、あなたがたを根絶やしにすることを喜ばれる」というみことばです。たとえ、主がお選びになり、愛しておられる民であったとしても、不従順で反逆するならば、主の正義が成し遂げられるために、さばきを下されることを「喜ばれる」という、このみことばに、私たち主の民は粛然とさせられます。従順の生き方を目指していくゆえんです。

詩篇119篇25節~48節……主の仰せは喜んで受け入れ、お従いすべきものです。詩人は主の仰せを「愛している」とさえ告白します。主のみことばに従順になるためには、何よりも、主の仰せを「愛する」ことが必要となります。私たちは機械的に主のみことばに従順になることはできません。必要なのは、神さまとそのみことばに対する「愛」という動機です。

イザヤ書55章……主の祝福は、金を払わないででも自分を養うために必要な穀物が手に入れられるように、神さまがただで私たちに下さるものです。ただし、ひとつだけ条件があります。それは、私たちが神さまのみことばに耳を傾け、そのみことばに従順にお従いすることです。みことばに聴くならば、人は生きます。

マタイの福音書3章……パリサイ人やサドカイ人もバプテスマを受けにヨハネのもとにやってきましたが、ヨハネは彼らに対し、悔い改めにふさわしい実を結べと一喝しました。彼ら宗教指導者たちは単に自分たちの宗教的地位に箔をつけるためくらいにしかバプテスマを考えていなかったのでしょう。しかし、私たちはそれではいけません。バプテスマを受けているならば、それにふさわしい悔い改めの生活をし、その悔い改めにふさわしい実を生活の中に結んでしかるべきです。

<祈りの課題>私たちが今日示されるみことばを、具体的に生活に適用して守り行う従順の生活を、私たちの周りの兄弟姉妹がしていくことができますように(10人の兄弟姉妹の名前を挙げて祈りましょう!)。

コメント

このブログの人気の投稿

210 7月29日 士12使16エレ25マコ11

365 12月31日 Ⅱ歴36黙22マラ4ヨハ21

361 12月27日 Ⅱ歴32黙18ゼカ14ヨハ17