170 6月19日 申24詩114-115イザ51黙21
申命記24章……神さまはご自身の民に、寄留者や孤児、寡婦のような、社会的にとても弱い立場にある人たちを充分にケアするようにと命じられました。それは、彼らイスラエルもかつてエジプトにいたときには弱者の立場にあったからだということです。私たちは富む者となったとき、なんと、弱い立場にある人たちのことを忘れてしまうような自己中心の者たちでしょうか。私たちはそのような自分たちであることを認め、少しでも弱者に対して手を開く者でありたいものです。
詩篇114篇~115篇……偶像とは木や石に刻んだものはもとより、「人の側だけで」神扱いする存在がことごとくそれにあたります。天地万物を創造された創造主は、そのような「偶像」(人間のつくり出した神的イメージ)とは一切関係なく、また、それらの神的イメージは決して、人間にいのちも、神との交わりも与えません。
イザヤ書51章……神さまはご自身の民を慰めてくださるお方であり、私たち神の民はその慰めをいただくかぎり、何ものをも恐れる必要はありません。もし、私たちが神さま以外の何ものかに対して強い恐れをいだいているならば、それは私たちが、神さまとの交わりに欠けているという証拠です。何ものをも恐れないために、神さまとの交わりに専念する者となりましょう。
ヨハネの黙示録21章……私たち人間は、だれもが天国に入れると思ってはなりません。よく、亡くなった人のことを指して、「天国の○○さんが……」というような言い回しを人はするものですが、子羊の血を携えている人、すなわち、イエスさまの十字架を信じ受け入れている人でなければ、天国には入れません。ここを私たちは間違ってはなりません。
<祈りの課題>私たちの日々の神さまとの交わりが祝福されますように。
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