164 6月13日 申18詩105イザ45黙15

申命記18章……いかにも説得力ありげ、霊的に「見える」指導者が、主のみこころはこうであるとばかりに自信たっぷりに告げ、万一その告げたとおりにならなくてもそのことばの責任を取らないケースが跡を絶ちません。しかし、そのような指導者はいかにキリスト教会において定評を得てきた指導者であったとしても、もはやそのことばに耳を傾けてはなりません。彼らを恐れることは、主の油注がれた人を恐れる、ゆえに主を恐れることだなどと、私たちはもはや考える必要はありません。彼らを恐れてはならないことは、主のみこころです。

詩篇105篇……主はアブラハムと契約を結ばれ、その契約のゆえに御民を覚えてくださいました。彼らは国々を受け継ぐように主は定めてくださいました。しかしそれは、彼らが好き勝手に生きるためではありません。御民にふさわしく、主のおきてを守り、そのみおしえを保つことで、その与えられたどこの地においても主のご栄光を顕すためです。私たちもこのようにこの地に住んでいるのは、安逸をむさぼるためではなく、主に従順になる歩みをもって主のご栄光を顕すためです。

イザヤ書45章……私たちの信じお従いする主はすべてを創造された創造主でいらっしゃいます。それゆえに、この地上ですべて神(神々)と呼ばれているものは神ではなく、したがって礼拝の対象としてはなりません。ここに、私たちが地の果てまでも主のみことばを宣べ伝える根拠と責任があります。私たちが主の民であることを誇りとするならば、人々に主を宣べ伝えてこそその生き方には意味があるのではないでしょうか。

ヨハネの黙示録15章……主はあがめられるべきお方です。なぜなら、この地を究極的にさばかれる、唯一のさばき主でいらっしゃるからです。世界に住む私たち、主にある教会姉妹は、それゆえに主を礼拝し、主に敵対し、主のしもべに迫害を加える勢力に対して、主のさばきがすみやかに降ることを祈り、主に賛美の歌をおささげするのです。

<祈りの課題>私たちの住む町、私たちの一族、私たちの友人関係から、偶像礼拝から主へと立ち帰る人がひとりでも起こされますように。

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