162 6月11日 申16詩103イザ43黙13

申命記16章……主に礼拝をおささげする祭壇のそばにアシェラ像を立てることにそれなりの根拠があるとすれば、その入っていった土地カナンの風習を理解しようとすることでしょう。しかし、それは人間的な動機にすぎず、そのようなヒューマニズムに名を借りた偶像礼拝を主は忌み嫌われます。主に対する私たちの礼拝は、どこまでの純粋なものでなければなりません。

詩篇103篇……主は正義のお方であられるゆえに、私たちは本来、自分の犯した罪にしたがってさばかれるべき存在でした。しかし、主はあわれみ深いお方であられるゆえに、私たちを犯した罪に従っておさばきになることはありません。これが主の恵みであり、その恵みを施してくださることこそ、主が私たちに「良くしてくださったこと」で、忘れてはならないことです。

イザヤ書43章……イスラエルの民は主に贖われた民であるにもかかわらず、長い時間にわたって、主と交わした約束を守らず、主に背くことばかりでした。しかし主は、この主の民の罪を思い出さない、赦してくださることを宣言されました。それは、「わたし自身のため」、すなわち、この民をご自身の民とすることがみこころであったご自身のご栄光のためでした。主の民はそのような、主のご栄光にかかわる恵みをいただいています。

ヨハネの黙示録13章……この世的な権威に満ちたものは、人々の礼拝を誘発するような「霊的な」魅力を備えているものですが、そのようなものはいかに力があるように見えようとも、拝むべき対象ではありません。それを拝む人は主に選ばれていない人であり、むしろ主に敵対する勢力を形づくります。私たちがそのような勢力から救われていることは感謝なことですが、終わりの日が来る前に、一人でもそのような反キリストの勢力から人々が救われるように、人を愛する心を求め、伝道に励んでまいりたいものです。

<祈りの課題>私たちの罪を赦してくださる主の恵みに、今日も心を留めるものとなりますように。

コメント

このブログの人気の投稿

210 7月29日 士12使16エレ25マコ11

365 12月31日 Ⅱ歴36黙22マラ4ヨハ21

361 12月27日 Ⅱ歴32黙18ゼカ14ヨハ17