160 6月9日 申13-14詩99-101イザ41黙11
申命記13章~14章……私たち主の民の中には惑わす者が出て、偶像の神々を拝むのが主のみこころだ、などと言うものが出ることが語られています。しかしそのようなことを言う者は、献身者であれ、兄弟であれ、容赦してはならないと語ります。主の民イスラエルの間では、そのようなことを言う者はだれであれ、死刑に処せられるという規定ですが、そのように言って主の民を惑わすならば、そのような者は主のからだなる教会、天の御国にふさわしくありません。
詩篇99篇~101篇……私たちひとりひとりは、王である主イエスさまに治めていただいている神の国の民です。私たちが罪を犯しているならば、そのような私たちがキリストとともに十字架につけられるように、日々、朝ごとに祈る必要があります。そのようにして罪とのつながりを断ち切って毎日を生きる、祝福された生き方を目指してまいりましょう。
イザヤ書41章……苦しむ人や貧しい人が飢え渇く、なんと悲惨なことでしょう。しかしそのような人々のことを、主がその豊かさをもって養ってくださいます。そのことによって、その豊かさの創造者が主であることがあまねく知れ渡ります。私たちはそのような悲惨な境遇に置かれた人々に対して無関心であってはなりません。彼らが養われるために私たちが何をすることで主に用いていただけるか、つねに悩みつつ祈り求める必要があります。
ヨハネの黙示録11章……主がもたらしてくださる終わりの日は、主が王となられる喜びの日であるとともに、主を恐れずに死に定められている者たちがさばかれる、御怒りの日です。私たちはこの終わりの日に向けて、今日どのような備えを主の前に果たすことを祈るべきでしょうか。
<祈りの課題>日々の、主の前に徹底して生きる生き方の積み重ねで、終わりの日に、さばき主なるイエスさまの前に恥ずかしくなく立つ者となりますように。
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