159 6月8日 申12詩97-98イザ40黙10

申命記12章……異邦に入って主の領地を占拠する際、異邦の民の宗教的な習わしをまねてはならないと主はイスラエルの民に戒められました。これは、ひとときはリバイバルを求めて燃えていた私たち日本のクリスチャンが、時を経てこの世的に慣れてしまっていることに対する警告のみことばとして受け止めるべきことではないでしょうか。イスラエルの民がカナンの習わしをまねて堕落したことは、私たちにとって他人事ではありません。私たちはいまこそ、主の願っていらっしゃる生き方を求めてまいりたいものです。

詩篇97篇~98篇……主こそがまことの神さまであるゆえに、偶像に仕えひれ伏す者は恥を見ます。私たちは偶像の神々に仕えるがごとき選択をしてはなりません。この日本では、偶像を選ばせようとする社会の同調圧力がそこかしこに存在しますが、そのようなときこそ、主にお従いする選択をもって、人々から何と思われようとも恐れずに証しを立てる者となりますように祈ってまいりましょう。

イザヤ書40章……主ご自身が羊飼いとなって、神の民を牧してくださるという約束です。このみことばのうちに、イエスさまの到来が予告されています。それを知ろうともしない者は、偶像をつくり、それに仕えることをやめようとしませんが、そのような者の終わりはむなしく、また破滅です。

ヨハネの黙示録10章……みことばは蜜よりも甘いものですが、実際にそれを消化するとなると、それはきわめて苦痛に満ちたものです。この世をおさばきになる主のさばきの激しさ、それ以上に、この世界をさばかなければならない主の苦悩を思うならば、私たちもまた苦しむものです。主の苦悩がわがものとなるならば、私たちも、終わりの日に向けた情熱をもって、主の救いを全地に宣べ伝える者となれるのではないでしょうか。

<祈りの課題>家庭や地域社会で偶像礼拝の文化と戦っている兄弟姉妹のために。

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