156 6月5日 申9詩92-93イザ37黙7
申命記9章……モーセの四十日四十夜の断食祈祷は、霊性向上などの自分のためではなく、イスラエルのために神さまと交わり、また、イスラエルの罪を告白して神さまと交わるためであったということでした。断食というものはどこまでも、自分の属する霊的な共同体のためにすべきものであり、それは肉体が限界にさらされるという、いのちのかかっているものです。私たちはなかなかそこまでになれないかもしれませんが、モーセの精神をもってとりなす者とならせていただきたいと思いませんでしょうか?
詩篇92篇~93篇……朝という時間、また、夜という時間は、神さまを賛美することがふさわしい時間です。それも、思い出したらたまに、ではなく、毎日です。一日の初めと一日の終わりに、その一日を与えてくださった神さまをほめたたえることは、なんと麗しいことでしょうか。
イザヤ書37章……神の民に対して侮辱のかぎりを尽くしたセンナケリブ王のアッシリアに、主は特別な御業をもってさばきを下されました。主はこのようなことのおできになるお方です。主が敗北されるということは絶対にありません。この世の勢力は傲慢にもわが世の春を謳歌しますが、そのいのちも主の御手のうちにあることを覚え、主を恐れる必要があります。
ヨハネの黙示録7章……すべての国民、部族、民族、言語から、だれにも数えられないほどの大勢の群衆が主の御前に立つ……ヨハネにこの幻が与えられたとき、教会は歩み出したばかりで、しかも風前の灯火という状態にありましたが、その後2000年にわたって世界中にキリスト教会は拡大し、この幻のとおりになったことは私たちの知るところです。このように、このときにはまだ実現していなかったみことばが実現したように、今の段階ではまだ実現していないみことばも、必ず実現します。
<祈りの課題>主のみことばは必ず実現するという信仰が、私たち兄弟姉妹の間で増し加わり、私たちがますます熱心に聖書を読むようになりますように。
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