155 6月4日 申8詩91イザ36黙6

申命記8章……5節のみことばに注目すると、「訓練」ということばが出てきます。人がその子どもを教育することは、「訓練」ということばに置き換えることができます。教えたとおりのことを実際に実践できるように導くこと、それは「訓練」です。同じように、主は私たちを訓練してくださり、みことばを具体的に守り行うことができるようにしてくださいます。

詩篇91篇……主は試練にあう者が実を避けるべきお方です。主は私たちを守るために、御使いたちを遣わしてくださいます。しかしサタンは、主がそのように人を守ってくださる愛のお方であることを知ったうえで、その主の御業を実践させるべく、主を試みさせようとイエスさまをそそのかそうとしました。しかし、主は、主を試みる者の味方になられるのではなく、まさにサタンに攻撃されそうになっている者を、その攻撃から守ってくださろうと働かれるのであって、そこを間違えてはなりません。

イザヤ書36章……ヒゼキヤの時代、アッシリアの侮辱を伴った攻撃にユダは晒されました。それは、ヒゼキヤ王の力が足りないことをあざけった以上に、ユダの民の主であるまことの神さまに対して侮辱を加えたことでした。これは神をも恐れぬ、大変な思い上がりです。神の民はときに、このように、主とお従いする神さまに対する侮辱を加えられるものですが、そのような侮辱を加える者はちりや灰にすぎません。怒りや絶望感にとらわれることはあるでしょうが、彼らを恐れてはなりません。

ヨハネの黙示録6章……キリストにつかない者たちは、身分の高い者も低い者も身を隠し、主の怒りからかくまってほしいと叫びます。彼らはその大災害が主からのものであることを知っているわけです。しかし、そうと知っているならば、彼らはイエスさまから離れてはならなかったはずです。逃げるならば、イエスさまの中に逃げ込むのです。

<祈りの課題>主の御名を侮る者たちに取り囲まれるとき、主が私たちをその厳しい状況から救い出してくださるように。

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