153 6月2日 申6詩89イザ34黙4

申命記6章……主の命令を守り行えということは、その民が幸せになるためというのが、主のみこころです。もしその掟と定めから外れ、好き勝手に振舞うようになってしまうならば、人々はどれほど祝福から遠いところに行ってしまうことでしょうか。主の掟に従って生きることが求められる理由は、自分たちが労したわけではないのに受け継いでいるこの世の豊かさの中で生きることが許されているからで、主を恐れ、主の恵みに感謝するならば、率先して従順の生き方をしていくようになるはずです。

詩篇89篇……主の民でありながらもその掟に従わないならば、主は罰を与えられます。しかしそれは、完全に御前からその民を捨て去られるためではありません。主はなおも恵みを与え続けてくださる、真実なお方です。ただし私たちの取るべき態度は、だから主を侮ることではなく、主の恵みに恐れつつ感謝して、自発的に従順にお従いすることです。

イザヤ書34章……ここに描かれているのは終末のさばきの様相です。主は、ご自身の民を苦しめ、迫害した者たちに対し、破滅的な最期をもたらせられます。私たちはこれをお読みして、それほどまでに主が私たちのことを愛しておられることを思い、恐れずにはいられないのではないでしょうか? また、私たちの隣人が、ひとりでもこの破壊的な終末の有様から救われるように、彼らの救いを祈り、行動に移さなければと思いませんでしょうか?

ヨハネの黙示録4章……野獣最強の獅子は権威の象徴、家畜最強の牛は力の象徴、人間の顔は知恵の象徴、猛禽類最強の鷲は行動力の象徴……これらすべてのものをささげ、主を礼拝する姿に、私たちは何を思いますでしょうか? 私たちはすべてをささげてい礼拝すると口では言っていながらも、果たしてその告白にふさわしい礼拝をささげているか、つねに自分自身に問うてみたいと思います。

<祈りの課題>終末を実感するこのとき、私たちの周りの人が一人でも破滅から救われますように、名前を挙げて祈りましょう。

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