152 6月1日 申5詩88イザ33黙3
申命記5章……主のみこころは、主の民が地上において長く生きること(すなわち、主の領域をこの地上に保ち、拡大すること)であるゆえに、主のご命令を右にも左にもそれずに守り行うことです。私たちは、どうせこの高い基準の命令など守れないと、あきらめて、刹那的な生き方をするようになってはいけません。もちろん私たちは罪人ゆえに、完全に守り切ることはできないにせよ、主は私たちを神の民にふさわしく日々きよめてくださり、みことばを守り行えるように導いてくださいます。
詩篇88篇……私たちは苦しみの中にあるとき、神の怒りを感じたりしないでしょうか。本来私たちは、神の怒りに触れるべき存在でした。しかし私たちには、朝に、昼に、夕に、神さまに叫び求めることができるという特権があります。私たちは孤独なようでいて、孤独ではないのです。
イザヤ書33章……主が救いと知恵と知識の富であるということは、単に人間的に見てそうだということ以上の次元の話です。その富は、主を恐れることによってはじめて私たちのものとなります。主を恐れること、これが人間にとって初めの行いであり(主を恐れるゆえに私たちは神を愛し、人を愛する)、すべてです。
ヨハネの黙示録3章……主は再び来られますが、もし私たちが霊的に眠っていて、この世の行いにうつつを抜かしていたら、主は「盗人のように」来られると警告していらっしゃいます。私たちにそのような終末が突然臨むことのないように、私たちはつねに目を覚まし、この世の罪深い行いに染まってしまうことのないように、互いに励まし合ってまいりたいものです。
<祈りの課題>世の終わりを感じられる今日この頃ですが、私たちが目を覚まして、再臨のイエスさまの御前に恥ずかしくなく立てるものとなれるよう、日々備えますように。
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