151 5月31日 申4詩86-87イザ32黙2

申命記4章……主はあらためて、新たに入って所有する地において、主だけを神とし、偶像の神々を神としてはならないことを語られました。しかし実際の歴史を見ると、イスラエルは偶像へと堕落し、ついにはここで主が警告していらっしゃったとおり、主はイスラエルにさばきを下されました。このような警告のみことばをいかなる姿勢でお聴きするかということは、いのちを左右するという点でとても大事なことです。

詩篇86篇~87篇……私たちが変わらずに保つべき信仰告白は、主だけが神であるという告白です。世界はこぞって価値観が相対化し、それは神信仰の領域にまで及んでいますが、私たちキリスト者がそのような風潮に合わせて神信仰を譲歩しているうちにも、世界では絶対に自分の信仰や主義を譲らない者たちがその領域を広げていっています。私たちがすべきことは、そのような世界において自分の信仰告白を譲らずに保ちつづけることです。

イザヤ書32章……主を認めず、キリストに敵対する不義な者、愚かなたちは自分を肥え太らせようとも、貧しい者、虐げられた者に目を向けようともしません。しかし、まことの王なるイエス・キリストが義によって治める世界が実現するとき、もはやそのような者たちは、働く余地がなくなります。私たちはそのような世界を期待していますでしょうか?

ヨハネの黙示録2章……教会において責められるべきこと、それは、主の愛をもって互いに愛せよというキリストの教えから離れること、そして、そのように教える誤った教えを教会の中に招き入れてしまうことです。私たちはつねに立ち止まり、初めの愛の中にとどまっているか、心を調べていただきたいものです。

<祈りの課題>私たちが、その生活する領域のただ中にいる社会的弱者たちに目を向け、主の愛を具体的に実践するものとなりますように。

コメント

このブログの人気の投稿

210 7月29日 士12使16エレ25マコ11

365 12月31日 Ⅱ歴36黙22マラ4ヨハ21

361 12月27日 Ⅱ歴32黙18ゼカ14ヨハ17