149 5月29日 申2詩83-84イザ30ユダ
申命記2章……主がイスラエルに領土を与えられるか与えられないかは、そのもともとの領土を所有する民の先祖が何者であったかにかかっていました。神さまは、アブラハム、イサク、ヤコブの祝福の家系につながる、ロト、エサウの子孫たちの領土を、イスラエルに占領するようにはおっしゃいませんでした。主と契約を結んだ族長たちの祈りは、このような形ででも有効でした。そして私たちもまた、族長たちの祈りの実が結ばれ、信仰によって救われた存在です。
詩篇83篇~84篇……族長たちの祈りが、モアブやアンモンやエドムがイスラエルの攻撃から免れるという形で実を結んだわけですが、そのような者たちも逆にイスラエルを攻撃するならば、主は容赦しませんでした。主はこのようにして、イスラエルに戒めを与えつつも、絶対的に守ってくださることを約束してくださったのでした。
イザヤ書30章……イスラエルが弱くなったとき、その拠り頼むべき存在は、エジプトのような強大に見えても主に敵対する存在ではありません。そのような存在は主の御前ではむなしいものです。私たちも世のものに拠り頼もうとする前に、主に祈り、主の御助けをいただくものとなりたいものです。
ユダの手紙……主の敵はその行いからしてけがれていました。主はそのような者に、悪魔・悪霊と同様のさばきを下されましたが、私たち主の民はこのようなけがれた行いに身を焦がすのではなく、主の勝利にあずかる者にふさわしくある必要があります。こんにち、多様化の美名のもとに、聖書が罪と定めていることを美しいこと、推奨すべきことと喧伝する風潮が多々ありますが、それは主の敵の策略であり、私たちはそこから救われ、きよさを保つことで勝利するものとなりたいものです。
<祈りの課題>みことばの戒めている悪い生活、悪習慣から抜けられないで苦しんでいる教会大しまいに、主の特別なお導きがありますように。
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