147 5月27日 民36詩80イザ28Ⅱヨハ
民数記36章……ツェロフハデの娘たちは、ツェロフハデの土地の継承者に定められていましたが、ヨセフ部族に属する彼女たちが別の部族の男性に嫁いだ場合、結果としてヨセフ部族の土地が損なわれることになる、という問題が起こります。それゆえ、彼女たちはヨセフ部族に嫁ぎなさいという裁定が下されました。結婚に関するこの裁定は、地境を移すことが起こらないようにという主のみこころによるものでしたが、こんにちにおける私たちクリスチャンの結婚も、クリスチャンの社会を保つ(地境を守る)ための知恵という観点から、クリスチャンどうしでの結婚が推奨されます。ツェロフハデの娘たちがヨセフ族の男性たちの間でよい出会いに導かれる必要があったように、私たちクリスチャンも、教会の未婚の兄弟姉妹によい出会いがあるように、お祈りすべきではないでしょうか。
詩篇80篇……苦難の中にある詩人が主に祈ることは、第一に、主が自分たちのことを元に戻してくださること、そして、主が御顔を自分たちに照り輝かせてくださることです。このとき主の民は、大いなる主の懲らしめを受けて、主の敵の嘲りの的となっていましたが、それは昼も夜も涙を流すべきことでした。しかしその状態に御民がとどまることは、何よりも主のご栄光という点でふさわしくありませんでした。私たちは苦難にあっているならば、それを主からの当然のお取り扱いと達観するのではなく、涙の祈りをささげて、主のご栄光が回復されるようにとお祈りしてしかるべきです。
イザヤ書28章……収穫物に対してはそれが用いられるために、細かく砕くことをするものですが、砕きすぎるならば今度は風味や香りを損なうので、ふさわしい程度にしなければなりません。それと同じように、主はご自身の民を砕かれ、懲らしめられますが、主はそのお取り扱いにも限度を設けておられ、私たちが完全に滅んでしまうまでさばかれるということはありません。私たちはいま、主の懲らしめというべき苦難にあっているかもしれませんが、そのときは、その苦しみから救い出してくださる主に叫びましょう。
ヨハネの手紙第二……主が特に私たちに望まれ、命じられることは、私たちが互いに愛することです。愛し合うことは主の真理のうちを歩むことであり、私たち教会にとってその歩みは喜びとなります。神さまの栄光のため、私たちの喜びのため、他者を具体的に愛する行いへと、私たちの行いが実を結ぶものとなりますように、日々具体的にいかなる行動をだれに対して実践すべきか、祈り求めてまいりましょう。
<祈りの課題>結婚を求めていらっしゃる兄弟姉妹が、ふさわしい人に出会いますように。
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