146 5月26日 民35詩79イザ27Ⅰヨハ5
民数記35章……レビ人、献身者は、相続地を持ちません。しかし、そんな彼らも生活をする必要があります。彼らが生活をするためには、ほかの部族に土地を提供してもらう必要がありました。このようにして、イスラエルは神の民にふさわしく、生活面においても主を礼拝することを中心とした共同体となっていくことが、みこころにかなうことでした。
詩篇79篇……主の民が傷つけられるということは、主の栄光が汚されるということです。もちろんその原因は、現にこの地を生きる主の民にとっての先祖にあたる民が罪を犯したゆえ、ということもあるわけですが、もし民が主に祈り求めるならば、主はいつまでも、民が傷つき、没落したままにしてはおかれません。必ず救ってくださいます。
イザヤ書27章……7節。主の民と、主の民に敵対する者は、主から同じ取り扱いを受けることはありません。主の民に臨むものは「懲らしめ」であり、主に敵対する者に臨むものは「さばき」です。私たち主の民は、世の者たちと同じように主から見捨てられ、滅んでしまうと考えてはなりません。私たちが厳しい体験をするのは、その体験によって主に立ち帰るためであり、滅びるということではありません。
ヨハネの手紙第一5章……神を愛していることは、主にある兄弟姉妹を愛することによって証明されます。兄弟姉妹を愛することのない「信仰生活」は、「信仰生活」の名に値しません。単なるアクセサリーで「宗教」をしている程度のものです。もちろん、私たちはそれでも、兄弟姉妹が愛せないという現実に直面して、悩むこともあるでしょう。どうか神さまに祈って、愛する力が与えられるように求めてまいりたいものです。間違っても、その受け入れられない相手がさばかれるように祈ってはなりません。
<祈りの課題>私たちの間の兄弟愛が増し加わりますように。
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