140 5月20日 民29詩73イザ21Ⅱペテ2
民数記29章……ここでは特に、祭りを行うにあたって、決められた日においていかなる仕事もしてはならないことが強調されています。本来、主の民が主の御前に出るということは、経済的な必要を自分の努力で入手する「労働」の手を休め、主がつねに養ってくださっているということへの信仰と感謝を表明する意味で、完全に主の御前に出てしかるべきです。こんにち私たちは、このように仕事以上に主の御前に礼拝をもって進み出ることを大切にしようという態度を保つことが、おろそかになってはいないでしょうか。
詩篇73篇……主に敵対する者が栄え、主の民を踏みにじるとき、私たちの心は怒りで燃えないでしょうか。しかし詩人アサフは、そのように彼らに対して怒りを燃やした自分の姿に気づき、主との交わりに身を投じました。そこから彼らの最期を知り、アサフ自身も、主の御前にふさわしい態度を回復しました。私たちは特に、主の御名が汚される時怒りを覚えるものですが、その怒りは果たして、「聖なる怒り」などと正当化してもよいものか、怒る自分を正義とすることは果たしてふさわしいことなのか、よくよく自分自身を点検し、とかく感情的になることを悔い改め、主との平安の交わりの中に保たれるものとなりますように祈りましょう。
イザヤ書21章……わが世の春を謳歌し、主に就く者たちを踏みにじってやまないように見える反キリストの勢力は、その信奉していた偶像もろとも滅ぼされます。彼らがこの世界を支配しているという現実だけに目を止めて、絶望的になったりしていてはいけません。ほんとうに目を止めるべきは、そんな彼らを主がゲヘナで滅ぼされ、主に就く者たちが最後にはキリストともに勝利を得るという、ほんとうの現実です。
ペテロの手紙第二2章……この箇所で取り扱われていることは、御民、主の民の中の偽預言者の出現です。注意しなければならないことは、そのような信仰共同体の中にも、贖い主なる主さえも否定する異端は現れ、ということです。しかし、彼らがそのように異端に走る動機を突き詰めると、貪欲によって純真な教会を食い物にするため、ということです。神の羊を牧するという崇高な動機からでは決してありません。私たち教会は、リーダーになろうとする人たちのその動機を厳しく見極め、教会の聖性が保たれるようにしていかなければなりません。
<祈りの課題>教会が、巧妙なやり方で食い込んでくる異端から守られますように。
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