139 5月19日 民28詩72イザ19-20Ⅱペテ1
民数記28章……主はご自身の民に、定期的に祭りをもってご自身の御前に進み出るように命じられました。毎日ささげものをささげるだけではなく、安息日も、毎月の初めの日も、第一の月の14日から15日、そこから数えて7日間も、7週の祭りにおいても。このことからわかることは、主はそれほどまでに私たち主の民との交わりを求めていらっしゃる、ということです。それは、私たちが主を第一とすることで、主の民にふさわしい、祝福された生き方をするためです。私たちは毎日のディボーション、そして主の日の礼拝という時間において、神さまとの喜びの交わりを体験していますでしょうか。
詩篇72篇……私たちは第一ペテロ2章9節が語るように、王(である祭司)です。私たちはこの地を祝福し、この地において疎外された貧しい人がひとりでもいなくなる努力をする力を主から授かることによって、王権を行使します。人々の上に君臨し、人々の畏敬を集める王ではありません。イエス・キリストのように、仕えることで王権をこの地に顕す王です。
イザヤ書19章~20章……エジプトに対する主のさばき、その結果エジプトが主の御前に悔い改めることを予告するこのみことばは、そのはるか昔の出エジプトにおけるさばきを連想させます。ナイルの賜物として一大文明を築いたエジプトも、主の民を虐げるならばこのような悲惨な有様に転落します。私たちは、旧新約聖書に繰り返される、主の敵が奢り高ぶるあまり主の民を虐げた結果、悲惨な最期を迎えるという記述から、この地における私たちの悲惨さはいつまでも続くものではないことを覚え、ますます救い主なる主に対する信仰を新たにさせていただきたいものです。
ペテロの手紙第二1章……自分の召しと選びを確かなものにする上で必要なことは、「励む」こと、すなわち「努力する」ことです。もちろんこれは人間的な頑張りではなく、少しでも主に結びつくことができるように、主との交わりにおいて不必要なものを脱ぎ捨て、遠ざけ、その分意識して主との交わりに身を投じることです。そうするならば、主が私たちに働いてくださり、私たちを主との喜びの交わりへと導いてくださいます。
<祈りの課題>私たちがみな、なおも罪を犯させる悪習慣から抜け出し、きよい主との交わりをつねに求める者となりますように。
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