138 5月18日 民27詩70-71イザ17-18Ⅰペテ5
民数記27章……主は、いかなることを行えば呪われるかということについて、かなり具体的に触れられました。それは一般的な倫理に照らしてもアウトのものもある一方で、一般的に見ればそれほど問題に思えないようなものもあります。しかし大事なのは、これが創造主なる神さまが、人間にもわかるように具体的にお定めになった掟であるということで、それを人間の側で云々して、守り行うかどうかを自分で考えるべきではありません。いかなることがあろうとも、私たちは神の民である以上、守り行うべきであり、また、守り行うように人々に教えるべきことです。
詩篇70篇~71篇……私たちは恥から救い出される必要があります。私たちにとって恥であること、それは、私たちの言動を通して、人々がかえって神さまの御名をそしることです。しかし、神さまはそのような中においても、私たちを恥から救い出し、ご自身のご栄光を大いに輝かせられるお方です。私たちを敵の嘲りから守ってくださり、なおご自身のご栄光のために用いてくださる主の御名をほめたたえましょう。
イザヤ書17章~18章……自分の住む場所が廃墟のようになることは、確かに絶望的なことです。しかし、主はそのように、この地をさばかれたままにしてはおかれません。絶望のただ中にある人々の心に、主を求める思いを与えてくださり、主を礼拝するように導いてくださいます。人の回復はそのように、創造主に立ち帰ることから始まります。
ペテロの手紙第一5章……イエスさまはペテロに、わたしの羊を飼いなさいとおっしゃいましたが、そのご遺志を引き継ぐようにして、ペテロは教会の指導者たちに、神の羊の群れを牧しなさいと言いました。私たち人間は羊のように頑迷で、また愚かな者ですが、主のもとに導く牧者のもとにいるならば迷うことはありません。それだけに牧者には重い責任が伴います。しかし、教会員は教会形成の責任を牧者に押しつけてはなりません。牧者に牧羊の命令が下されているように、教会員は牧者の導きに従うこともまた命じられており、そのように導きに従うことで、教会形成にともに励んでいくことになります。
<祈りの課題>クリスチャンがみな、教会形成の主体となろうとする意識を共有し、教会形成に励んでいきますように。
コメント
コメントを投稿